死者の日の祭壇や、建築物に垣間見えるルーツ。

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メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

死者の日の祭壇や建築物に見えるヨーロッパのルーツ。

☝☝☝ミチョアカン州の一般家庭の祭壇(岩﨑撮影・許可を得ています)

ハロウィンとの違いの前に、

もうちょっと「死者の日」について書いてみます。

それに絡めて、

メキシコで垣間見えるヨーロッパ文化とそのルーツも少しご紹介したいとおもいます。

 

これを知れば、

ただ写真をバシャバシャ撮るだけでなく、

だいぶ感動できると思います。(笑)

 

まず、

死者の日にはいったい何をするのか。

 

各家庭では、

死者の日の前に、

死者の魂を迎える準備をします。

 

先ず大事なのが「祭壇」。

スペイン語ではアルタルといいます。

Altarと書きますが、

これは英語も同じ。

教会の祭壇もアルタルといいます。

 

ココにですね、

一般的には故人の写真や、

生前好んだ食べ物や飲み物を、

実際に料理してお皿によそい、

祭壇に並べます。

フルーツなども並べますね。

あとはろうそくとマリーゴールド。

マリーゴールドは、

メキシコではセンパスチルといいます。

☝☝☝「死者の日」の前日、花屋は大忙し(岩﨑撮影)

 

センパスチルとロウソクの火で、

故人の魂が迷わずに到着できるよう文字通り“道”をつくってあげる、

というのはメソアメリカの要素ではありませんが、

スペイン人の植民地時代に始まったもののようです。

☝☝☝これは観光客向けのもので誇張しています。
中央部のオレンジ色の帯が「道」です。(岩﨑撮影)

そんなに大がかりでなくて、

フルーツや死者のパン、

お酒やジュース、マリーゴールドだけなど、

簡素な祭壇もあります。

☝☝☝家庭ではこのように済ませる所も多いです。(岩﨑撮影)

10月31日の夜、

またはメインの11月1日の夜に家族でお墓に行きます。

故人が眠るお墓を取り囲み、

夜遅くまで、

人によっては夜通しその場で故人と過ごすんです。

(👆地域によります。そうしない場所もあります)

 

お墓をキレイに掃除し、

センパスチルとロウソクで装飾します。

それが終わるとお墓を取り囲んで、

皆で食事をとったり、

中にはバンドを呼び生演奏し、

皆で歌います。

実際墓地にはバンドが待機しています。(笑)

【死者の日の音楽隊】ビデオです

☝☝☝個人と束の間のひと時を過ごすメキシコシティの家族(岩﨑撮影・許可を得ています)

☝☝☝ミチョアカン州のとある村のご家庭で。(岩﨑撮影・許可を得ています)

 

そんな風に11月1日から2日に過ごしたあと、

2日は実家に親戚一同が集まり祭壇に飾ってある食べ物も食べます。

 

それでこの死者の日の祭壇はどのようにして形を成したのか

 

これはですね、

諸説あるようなんですが

前回のブログの最後に書きましたが、

フランス生まれのマッカビー(ユダヤ人の先祖)の崇拝の儀式の時に、

教会の祭壇に、

死者の遺骨や服、埋葬されていた場所の土などを、

供えた事から始まる、

というもの。

死者は神と人間の間に存在する使者として考えられていたんです。

この辺メソアメリカの信仰とも似ていますね。

 

この習慣がスペイン人を通じてメキシコに入った時、

熱心なカトリックの信者たちは、

可能な限り多くの“祭壇”に祈りを捧げました。

寛恕を請うためです。

そして最後にメキシコシティの中心部ソカロにある、

メトロポリタン大聖堂に入る前に、

骨の形をしたパンや甘いお菓子を買いました。

これは司教が清めるものと同じものです。

そしてそれを自宅のテーブルに、

一家が拝む聖人(神様)と様々なフルーツなどと一緒に供えたのでした。

 

これが、

現代のメキシコでみる死者の日の祭壇の原型とする説。

 

祭壇やパンなどの物質的習慣は、

10世紀頃のローマ帝国時代(現フランス)に端を発するというもの。

 

えっ!?スペインじゃなくてローマ??

 

と混乱されるかも知れませんが、(笑)

 

昔(スペインという国が生まれる前)ローマ帝国は、

地中海沿岸、

当然今スペインがあるイベリア半島にも影響を及ぼしていたのです。

「ローマ帝国 領土」とググると地図が出てきます。

 

話はメキシコの死者の日から建築に移ります。

ちなみに、

上記の影響というのは

現代メキシコでカトリック教という精神面だけではなく、

建築にもその跡を残しているのは明らかです。

そしてそれは現在のメキシコでも至る所に見ることができるのです。

☝☝☝紀元前のギリシャのパルテノン神殿柱の形状に注目
この形状をドーリア式といいます。
最も初期でシンプルな形状です。(インターネットより)

☝☝☝メキシコのアコルマン教会
1524年にスペイン人によって建造が始まり、1560年に完成。
ちょっと見えにくいのですが、柱の上部に渦巻きが付いています。
これをイオニコ式といいます。(岩﨑撮影)

☝☝☝1758年建造のタスコのサンタ・プリスカ教会
おカネに余裕が出て来ると派手な装飾になります。
典型的なヌエバ・エスパーニャ式バロックです。(岩﨑撮影)
柱の上部の形状は渦巻に加え「葉」が加わっています。
これをコリント式、この葉をアカントといいます。

☝☝☝ヨーロッパ建築の基本的な柱の種類

 

古代ギリシャやローマ帝国の建築要素や宗教的な習慣が、

大西洋を挟んだアメリカ大陸にあるメキシコに、

今日のメキシコにも生きているのです。

 

で、

これにはもう一つ説があって、

僕としてはこっちの方が分かりやすい気がします。

 

スペイン語でカタファルコ(Catafalco)というんですが、

ようは棺台です。

17世紀中ごろから、

当時スペイン人の植民地だった今日のメキシコの土地で、

スペイン人が家族の先祖を祀る棺大を置き始めたのがルーツというもの。

本来は7段だったんですが、

これが次第に簡素化されていき5段、3段となっていきました。

☟カタファルコ(棺台)

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☟現代風にしたカタファルコ

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☟現代の祭壇(Altar)

 

てなことで、

その美しさだけでなく、

死者の日の祭壇やパンや、

街中のヨーロッパ式の建造物のルーツを感じて下さい。(笑)

 

そこに遠く離れた古代ヨーロッパの習慣が垣間見えます。

 

ではでは~

 

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