語られないメキシコのサンタさんの話・その1

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

語られないメキシコのサンタの話・その1

メリークリスマス!

スペイン語では、

フェリス・ナヴィダッ(Feliz Navidad)

といいます。(笑)

 

コロナの感染拡大が深刻化している首都メキシコシティでは、

6人以上の集会には罰金が科せられます。

先週末にも最低8カ所で摘発がありました。

そんな事で、

今年は静かぁなクリスマスです。

 

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 

楽しまれているところに

水を差したいわけでは決してないのですが、(笑)

一言だけ。

 

クリスマスの象徴と言えば「サンタクロース!」

となっているこの世の中ですが、

サンタさんて何なのか、

ご存じです?

 

日本のアメリカを盲従する姿勢ってかなり不思議です。(苦笑)

あれだけ戦争でいいように使われて、

今も使われ続けているのにもかかわらず。

 

そもそもそこまでアメリカを目指す理由は?

世界ナンバーワンの経済大国だから?

世界ナンバーワンの知性が集まるから?

世界ナンバーワンのテクノロジーが集結するから?

 

ごめんなさい。

“アメリカ教”信者の方がいたら聞き流して下さいネ。(笑)

 

“アメリカ信者”の方が「メキシコなんて・・・」と思うのと同じように、

僕も同じように「アメリカなんて・・・」と考えているっていう話です。

 

実は、

メキシコにはサンタクロースは来ません!(笑)

 

というかほぼ入国禁止!?(笑笑)

 

いえいえ、

入国禁止は言いすぎですね。

モールでもサンタさんと写真をとれるコーナーもあるぐらいですから、

決して「悪」ではないです。

「入国」もちゃんと出来ているようです。

 

サンタさん自体は悪くないんです。

もともとトルコの司教ニコラスさんが、

お金に困っていた3姉妹に

おカネを靴にいれて差し入れた、

というストーリーがあるぐらいですから、

それが本当にあったステキな歴史であれば、

昔から続く習慣として敬われるべきものです。

 

“問題”はその後その習慣がアメリカに渡った事。(苦笑)

 

メキシコでのサンタクロースの存在自体は、

ポルフィリオ・ディアス大統領(1876年~1911年)政権時に既に、

メキシコにいたアメリカ人家族によってもたらされていたようです。

 

メキシコにはアメリカのような?大きな煙突などありませんから、(笑)

その子供たちは靴下をベランダに置いておいたとか。

それにサンタさんがキャンディーやオモチャを入れてくれるように、

願っていたようです。

 

時は流れ、

メキシコで1911年に

ディアス大統領による独裁政権が幕を閉じます。

 

内政がグダグダだと、

“外敵”に付け入るスキを与えてしまいますネ。

(☝日本も気を付けなければ!?笑)

 

事実、その100年前の独立直後の混乱期に、

フランス、イギリス、スペイン、そしてアメリカが、

メキシコの領土獲得を渇望し、

様々な“事件”を起こしたことはこれまでに書いて来た通りです。

 

このメキシコ革命前後は国防の危機ではないものの、

グダグダの内政下、

メキシコという国のアイデンティが迷走した時期でもありました。

 

だから「外国志向の先住民」を皮肉って描いた

カトリナ(帽子を被ったオシャレなガイコツ)が生まれました。

 

だから壁画の巨匠ディエゴ・リベラや、

シケイロス、オロスコの壁画の3巨匠を中心に、

ナショナリズムを掲げて壁画運動が盛んになったのです。

 

混沌としたポストメキシコ革命期に

多くのアメリカの物質的カルチャーが流入しました。

 

新聞など、

広告と言えばアメリカ製品のものばかり。

1929年にはコカ・コーラが入ります。

 

アメリカの商業イメージキャラクターと言ってもおかしくなサンタさんが、

メキシコ“市場”に本格的に入り始めたきっかけは、

実はコカ・コーラだったのです。

 

コカ・コーラがサンタさんを宣伝に使ったのです。

会社の色(赤と白)にバッチリあっていますしね。(苦笑)

 

そんなメキシコ社会の「アメリカ化」を危惧した当時の大統領

パスクアル・オソリオ・ルビオは、

大胆な手段にうってでます。

 

なんと、

それまでのクリスマス=サンタクロース

というアメリカナイズされたイメージを刷新しようと、

メソアメリカ(スペイン人に乗っ取られる前のメキシコ)

の象徴である神ケッツァルコアトルを、

サンタクロースに置き換えようとしたのです。

 

1930年に、

かつてあったスタジアムに巨大ピラミッドを建設し、

そこに15000人の子供達を集め、

ファーストレディーと“ケッツァルコアトル”がプレゼントを配ったのでした。

☟その時の様子

(出典:El Universal)

 

この大胆な試みは、

愛国心の復活だとか、

メソアメリカの偉大な神への冒涜だとする論争に発展し、

結局それが最初で最後の「不思議な」クリスマスとなってしまったのです。

 

でも裏を返せば、

それだけメキシコという国が「何者」なのか、

分らなくなっていたという事なのでしょう。

 

つづきは明日~(笑)

 

#MexicoCentralTours

【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ