飲むテキーラじゃないテキーラの深ぁい話(2/2)


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育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

そろそろ飲むだけのテキーラは控えめにした方がいい・・・(苦笑)

👆テキーラを知って楽しむとこう👆なります。(笑)

まずナワトル語の深ぁい話から(笑)

前回👇のつづきです~

あのテキーラじゃないテキーラの話・1/2(笑)

 

前回はテキーラ(Tequila)の語源の話をしてました。

 

何語から来ているのかというと・・・

 

ナワトル語という言語。

 

マヤ語とナワトル語は全く別々の言語です。

ナワトル語はまた別の木の幹に属する言語で、

例えば、

「メキシコ」という国名や、

トマト、

チリ、

メスカル、

そして今回のテキーラも、

ナワトル語が語源になっているのです。

 

なんでナワトル語が未だにメキシコで広く残っているのかというと、

大航海時代に侵略しにやってきたスペイン人は、

当時メソアメリカ文明圏で最強最大であった帝国、

アステカで知られる「メシカ帝国」を狙ったことに起因します。

今有名なマヤや、

世界中の人がロマンを求めて行きたがるサポテカやミステカ文化のオアハカではなく、

当時最強最大であった、

「メシカ帝国の首都」

すなわち今日メキシコシティがある場所を狙ったのです。

当時のソコの住人をメシカ族とかメシカ人と呼びます。

そしてそのメシカ人が話していた言語がナワトル語で、

スペイン人たちはナワトル語をベースに当時の多くのことを学び、

それをスペイン語に変換します。

タコスやトルティジャ(トルティーヤ)だってその流れです。

 

無論、

当時のナワトル語と、

今日もメキシコシティ中心部ではなされるナワトル語は、

またちょっと違うわけですが、

ベースがナワトル語には変わりありません。

 

ナワトル語が話されていたメシカ帝国の首都、

テノチティトランを侵略したスペイン人は、

各地にもナワトル語の地名を残し、

作物やお酒もナワトルが変形したものになっています。

 

例えばトマト。

ナワトル語でトマトはTomatl、

これがスペイン語ではTomateとなります。

皆さんが大好きなアボカド。

ナワトル語でAhuacatl、

スペイン語でAhuacateとなりました。

 

アボカドのソースといえばワカモレ。

これはAhuacamulliというナワトル語が語源。

Mulliはソースという意味。

 

メキシコ料理の大御所モレもMulliが変化しています。

 

チョコレート、

これもナワトル語が語源。

XocoatlからChocolateとなりました。(説)

 

「テキーラ」の意味

テキーラも同じ具合にナワトル語からスペイン語に変換され、

今のTequilaになっています。

 

TEQUILA然り、

MEXICOという国名然り、

皆さんは知らず知らずの内に、

メキシコの言語、

ナワトル語の単語を頻繁に使っているのです!(笑)

 

で、

Tequilaとはどういう意味かという話ですが、

これはTequilanというナワトル語が語源。

Tequiというのは辞書でみると「切る」とか、

他には「年貢」という意味もあります。

語尾のLanは場所という意味。

 

直訳すると「年貢の場所」。

 

メシカ時代の「テキーラ」

じゃあその年貢ってなんのかっていう話ですが、

当時このテキーラ地方もメシカ帝国の支配下になっていました。

メシカ帝国は、

各地の部族を半ば奴隷化し、

重い貢租を課していたのです。

他に有名なものだと、

オアハカで皆さんが買うラグ。

昔のアメリカ大陸には羊はいなかったので羊毛は無く当時は綿製でした。

納期に間に合わないと焼き討ちです。

これにより住処を追われた人々に重宝していたのが、

持ち運びやすかったトウモロコシ、

ポップコーンということは先日書きました。

 

じゃあこのテキーラ地方では「テキーラ」をメシカの皇帝さんに納めていたのかというと、

違うんです。(苦笑)

 

テキーラ一帯には黒曜石の採掘地があります(した)。

今日のテキーラ周辺に住んでいた人たちは、

メシカ帝国に「黒曜石」を年貢として納めていたんですね。

ここから「年貢の場所」と言われるTequilanという単語ができました。

当時、

黒曜石は最重要鉱物の一つで、

現グアテマラのヒスイと共に、

メソアメリカの各文化間で広く取引されており、

とっても価値ある石だったんですね。

 

テオティワカンやカントナといったクラシコ期の大都市だって、

黒曜石の採掘地の近くで繁栄しています。

 

テキーラはいつ生まれた?

じゃあTequilanがいつから「メキシコの強いお酒」になったのか。

 

これには科学的証拠がないので、

「いつから」というのは今となっては言い切ることができません。

 

テキーラというのは蒸留酒というカテゴリーで、

醸造の後に「蒸留」という行程が入ってアルコール度数が高まるわけですが、

そもそも、

「蒸留技術」がメキシコの地で使われ始めた時期について、

考古学者間で説が2分されていて、

ハッキリしていないんです。

 

一説は、

スペイン人の到来以前からあり、

土製の蒸留器が既に発明され、実用化されていた。

👇博物館曰くこういうものらしい

もう一つは、

スペイン人によりヨーロッパ、

またはアジアはフィリピンから伝わった、

という説。

 

前者の場合、

実際に検証しても「できたことがない」ため、

「なかった」といい切るのが僕の考古学の先生の見解。

後者は、

蒸留技術を発達させたアラブ文化が根付いていたスペイン本国から、

植民地のヌエバ・エスパーニャに持ち込まれた、

あるいは、

既にフィリピンで実用化されていた蒸留技術が、

スペインの貿易船ガレオン船で連れてこられたフィリピン人によって、

現在のコリマ州一帯でココナッツから得たアルコールを含む液体を蒸留していた、

という説があります。

1570年頃の話。

 

まぁ、

ここで僕が説を検証しても埒が明くものではありませんので、(苦笑)

皆さんのご想像にお任せします~。

 

でも1600年ごろには、

「最初のテキーラ蔵」ができたようですよ?

 

まとめ

そんなわけで、

ちょっとだけ「テキーラ」という名称の背景、

お分かり頂けましたでしょうか~。

 

もともとは「メキシコの蒸留酒」ではなかった「テキーラ」。

そこにはテキーラから東に600キロ近くも離れた現メキシコシティ、

かつてそこに存在したメシカ帝国の首都テノチティトラン、

そしてその住人でナワトル語を話したメシカ族、

その支配下に置かれて大事な貢租である黒曜石が採れた「年貢の場所」、

それがナワトル語が語源のTequilanであり、

今日のTequilaに繋がっているというお話でした~。

 

え、ややこしすぎる!?(苦笑)

 

ぜひ現地をご自身の足で歩いて下さい。

私がお供し、

説明をさせて頂きます。(笑)

 

そんなメキシコのお酒テキーラ。

ちょっとですね、

飲むだけではなくて、

その世界的なブームの陰に忍び寄る、

ある問題についても考えてみたいと思います。

続きは次回に。

 

ではでは~

 

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