【ベラクルス】メキシコのヨーロッパ化はアメリカ大陸のヨーロッパ化の幕開けです。
前回👇の続きです~
あの人もこの作物も、全てはココを通った
👆ベラクルス市の中心部はいつも賑やか
ベラクルスはベラクルスでもベラクルス市の話
で今回はあんまり広くベラクルスの観光案内をするわけではなく、
ベラクルス市のサン・フアン・デ・ウルア要塞のご紹介。
ベラクルス市はベラクルス州の州都と勘違いされることが多いんですが、
ベラクルス州の州都はハラパというところ。
ベラクルス市は一般的に「プエルト」と呼ばれることが多いんです。
「プエルト」って「港」という意味。
はい、ベラクルス市と言えばメキシコの東の玄関口です。
メキシコという国は、
西は太平洋、東は大西洋という世界2大洋を抱える国。
その大西洋側にベラクルスはあります。
ちなみに西側の玄関口は今ではマンサニージョ港。
昔はアカプルコで、
ガレオン船貿易によって、
日本を含めたアジア産品がアカプルコに陸揚げされ、
陸路でメキシコシティを経てベラクルス港に抜け、
ベラクルスからヨーロッパ行きの船に船積みされ、
本国スペインに運ばれていたんです。
ヨーロッパとメキシコの接点
その船積み場というのが、
ココ、サン・フアン・デ・ウルア要塞の南西部分の一角にありました。
👇ここ
今でも32の銅製の輪っかを見ることができます。
このサン・フアン・デ・ウルア要塞の歴史を紐解くと、
ヨーロッパとメソアメリカ文明の「接点」が見えてきます。
そこが面白い。
ヨーロッパとメソアメリカ文明の接点は、
このウルア要塞に限ったことではなく、
遡れば1511年には「最初の接点」があったことが確認されています。
これを書くとまたベラクルスからズレてしまうのでまた別の機会に紹介したいと思いますが、(苦笑)
スペイン人のヘロニモさんとゴンサロさん達が乗った船が、
ジャマイカ沖で難破しちゃいます。
他の船員の一部と流れついた先というのが、
カンクンなどリゾートがあるユカタン半島の東岸。
ここから二人のスペイン人たちは、
約8年に渡ってマヤ族と一緒に生活をすることになるのです。
この「事件」により、
ヘロニモさんはマヤ語を習得。
1519年にエルナン・コルテスにコスメル島で救出されると、
スペイン語とマヤ語の通訳として重宝され、
最終的にはアステカで知られるメシカ帝国の征服に貢献することになります。
👆ヘロニモさんの同士ゴンサロさんはヘロニモさんとは真逆の道を歩むことに
その1519年に先立ち、
1518年6月24日に同じスペイン地のフアン・デ・グリハルバが、
とある場所に降り立っています。
そのとある場所というのが・・・
ウルア島です。
ウルアまたはコルア島
サン・フアン・デ・ウルア要塞はもともとは島だったようです。
「サン・フアン」というのは、
グリハルバさんがそこに降り立った日6月24日というが、
サン・フアン・バウティスタ(聖フアン・バウティスタ)の記念日だったんです。
ちなみにフアン・バウティスタさんは、
キリストさんの従兄で、
キリストさんを洗礼した人として知られています。
で「ウルア」というのは、
これは不明な点が多いんですが、
グリハルバさんが地元の人達が「Ulua」とか「Colua」と言っているのを聞いたから。
だから「サン・フアン・デ・ウルア」という名称で、
500年以上経った今日まで呼ばれています。
「要塞」と呼ばれる以上、
そういう仕様になっているのが内側に行くと良く分かります。
👇現在の様子。奥は今日のベラクルス港
👇こういう銃撃用の窓(狭間)がたくさんある
一方で、
「要塞」としてだけ使われたわけではなく、
「お城」だったり「牢屋」だったり、
時には暫定大統領官邸だったりもしました。
また、
メキシコは1821年にコルドバ条約で正式に「独立国」になったわけですが、
スペイン植民地軍の残留部隊が1825年まで、
このウルア要塞に立てこもっていました。
どこをもって「完全な独立国」とするかは見方にもよりますが、
綺麗サッパリ、
スペイン本国の要素が抜けきった状態を「独立」とするならば、
ウルア島が植民地時代に完全に終止符が打たれた地となります。
全てはここから始まった
ちょっと順序が逆になっちゃいましたが、
1519年4月21日、
この地にあのエルナン・コルテスが上陸します。
👆この上陸地点については説が3つぐらいあって、
僕はどれが真実なのかはわかりません。
4月21日という日付けも、
4月22日というものもあったり、
僕には真相はわかりません。
でもハッキリしているのは、
「セマナサンタ=復活祭」だったということ。
1519年4月21日は「聖なる木曜日」、
あの「最後の晩餐」があった日です。
翌4月22日は「聖なる金曜日」。
キリストさんの12人の使徒の一人フゥダス(ユダ)イスカリオテに、
オリーブ畑に呼び出されたキリストさんは逮捕され、
その後十字架に架けられ処刑されてしまいます。
それが「聖なる金曜日」の話。
INAH(国立人類学歴史研究所)の資料によると、
このウルア島の傍に錨を下ろし、
その後その近くの海岸(現ベラクルス港がある場所)に上陸したとのこと。
これ👆がアメリカ大陸のヨーロッパ化の最初の一歩です。
メシカ帝国の首都テノチティトラン崩壊の序章
この上陸のあと、
エルナン・コルテス一行は、
地元のトトナカ族の首長、通称カシケ・ゴルドと同年6月に、
現クィアウィストラン遺跡👇でヨーロッパ人とアメリカ大陸の原住民との間で初めて「軍事同盟」を結びます。
これ👆がデカかった。
スペイン人はたかが200人ほどしかいなかったため、
彼らだけで強大なメシカ帝国とバチバチやり合うことは不可能です。
トトナカ族は地元のことなら何でもしっています。
メシカ族の見張りが多い主要街道を避け、
ハラパ、コアテペック、ヒコを通るルートを行くようコルテスに指南します。
トトナカ族がなぜここまで見知らぬ異国人に協力したのかというと、
メシカ族に虐げられていたから。
その後に同盟を結ぶトラスカラ族も同じ理由で、
最終的にスペイン人と同盟を結ぶことになり、
その後メシカ族と「原住民同士」の戦いを繰り広げるという、
異様な光景の当事者となります。
この👆シーンはしっかりと、
壁画の巨匠ディエゴ・リベラ氏の「メキシコの叙述詩」👇という作品にも描かれています。
国立宮殿にあるあの有名過ぎる壁画ですね。
つづきは次回で~
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