【カトリック最終回】聖母グアダルーペってなんなの?

メキシコ在住20年、「メキシコの素顔を世界に!」 をモットーにリアルなメキシコをご案内している メキシコ政府認定ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
前回はこちら~↓
グアダルーペとは
全然興味ない方には長々とすみません。(汗笑)
僕も全然カトリック教徒じゃないのに5本目のカトリックの話題です。
またいつかやるカモしれませんが今回のシリーズは最終回。
多分、 カトリックに興味がない方にも、 話のネタになるという意味では 今回が一番ためになるものだと思います。
味が全くなかった僕でも「へぇ~」となりましたから、 ご安心下さい。
聖母グアダルーペの“グアダルーペ”ってなに? なぜマリアではない?
これまでの過去4回のシリーズで、 頻繁に「グアダルーペ」 というワードが出てきました。
メキシコ旅行やツアーでも「グアダルーペ寺院ツアー」とか、
「褐色の聖母グアダルーペ」とよく聞かれますが、 そもそも“グアダルーペ”っていったいだれ?なに? って思われた方も少なからずいらっしゃると思います。
一言でいっちゃえば女性の名前なんですけどね。(笑)
今50代、60代の女性より上の世代では特に一般的な女性の名前です。
日本ですと例えば、 和子さんとか、 清子さんとか、 文子さんというようなお名前です。
で、この名前、 実は語源がアラブなのです。
「・・・!?」
メキシコのアラブの関係
「何でメキシコがアラブと関係あんのよ?」
って思われた方も多いでしょう。
その歴史はスペイン史に端を発します。
スペインがあるイベリア半島というのは711年にアラブ人に侵入され始めます。
日本では奈良時代が始まりました。
その後一部のキリスト教徒は抵抗するも多くは“平和に”共存していたようです。
しかぁ~し、 1031年にイスラム勢力が分裂するとそれに乗じて抵抗するキリスト教徒が増えます。
一時キリスト教側が劣勢になるも1212年の決戦でアラブ側に勝利し、 その後アラブ人は衰退していきます。
そんな戦いが1492年まで続き、 スペイン南端のグラナダ地方からアラブ人が撤退したのを機に、 レコンキスタ(国土回復運動)は完成するのです。
日本は応仁の乱の25年後、 室町時代でした。
ヨーロッパでは大航海時代が幕を開けていましたね。
1492年はコロンブスが西への航海(俗に知られているアメリカ大陸“発見”)に出た年です。
てなことで、 スペインは約800年に渡って、 アラブ人(文化)に支配されていた経緯があるんです。
メキシコにあるアラブ文化圏の影響
だ・か・ら、 スペイン語にはアラビア語に端を発する言葉が多くあります。
| スペイン語 | 日本語 | 発音 | 日本語の発音 |
|---|---|---|---|
| Café | コーヒー | qahwa / qhwa | かはわ/くふわ |
| Limón | ライム | limon | りもん |
| Naranja | オレンジ | naranj | なーらんじ |
| Ojalá | ~だといいなぁ | inchallah | いんしゃあっら |
| Guadalajara | グアダラハラ市 | ghwadalakhara | ぐわだらはら |
| Azúcar | 砂糖 | sukkar | すっかる |
| Aceite | オイル | zit | ずぃーと |
| Zanahoria | ニンジン | safunnāriya | さふんなーりや |
| Hasta | ~まで | ḥtta | はった |
などなどなどなど、 その数4000以上になるとか。
だ・か・ら、 メキシコのアコルマンやチョルーラなどに現存するメキシコにおける初期のヨーロッパの建築物にはアラブの建築要素が見られます。

上部のとんがり帽子なっている部分をアルメナスといって、アラブ建築の特徴です。
グアダルーペの由来
そして、 “グアダルーペ”も多分に漏れず、 アラビア語が由来なのです。
guadaはwadi=川、lupeはal-luben=小さい、狭い(諸説ある)、
つまり「小さな川」 という意味です。
それで何で小さな川かと言いますと、 これはスペインのエストゥレマドゥラ地方にある 「グアダルーペ川」 から命名されています。
上記のレコンキスタ(国土回復運動)の終盤、
スペインのエストゥレマドゥラ地方からアラブ人が 撤退した際に、
グアダルーペ川の畔に聖母マリアが“出現”し、社を建てるように言われたようです。

それを “Nuestra se ñ ora de Guadalupe” (ヌエストゥラ・セニョーラ・デ・グアダルーペ) 名付け、
その後レコンキスタ(国土回復)の象徴として敬われます。
そしてその社があった場所に、 1398年に サン・ヘロニモ修道院を建設します。

ここでコロンブスは1492年の航海に先立ち、 当時のスペイン王イサベルと面会し、 グアダルーペ像に航海の成功を祈願したのです。
そして1493年、 大陸“発見”が終わり謝意を伝える為にも訪れています。
なんでメキシコにグアダルーペなのか
それで、 何でこの歴史と、 大西洋の反対側のメキシコが繋がるのかといいますと、 メシカ(アステカ)帝国を征服したスペイン人大将、 エルナン・コルテスの出身地がエストゥレマドゥラだったから。
エルナン・コルテス コルテスは自身の故郷で起きたこの“奇跡”を、 メソアメリカ(メキシコ)での“精神征服”に使うべく、同じような“聖母出現ストーリー”を用いたのです。
そしてそれが今日も、 80%のメキシコ国民の精神基盤となっているのです。 これでバッチリ、 月とスッポンの ヨーロッパとメソアメリカ(メキシコ)が繋がりましたね。(笑) ではまた~
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