
メキシコの歴史、文化、芸術の中心地メキシコシティ
メキシコシティとは
「メキシコ(México)」という国名の由来をご存じですか?
この言葉は、16世紀にスペイン人が到来する以前、メキシコ盆地に暮らしていた先住民族「メシカ(Mexica)」の言語・ナワトル語にルーツがあります。
かつて現在のメキシコシティ周辺は、ウサギの形をした巨大な湖に囲まれていました。その湖の中央に浮かんでいた島が、やがてメシカ(大義のアステカ)帝国の首都「テノチティトラン(Tenochtitlan)」として発展します。この地こそが、現代のメキシコシティの中心部「ソカロ(Zócalo)」が位置する場所です。
現在も、当時の湖の名残として北のスンパンゴ湖(Zumpango)、東のテスココ湖(Texcoco)、南のチャルコ湖(Chalco)などがわずかに残っています。
メキシコシティは、今ではラテンアメリカを代表する経済・文化の中心地のひとつですが、その歴史はさらに深くまで遡ります。500年前のスペイン人の到来以前、1000年前後にアステカ系の移住者が現在のソチミルコの南側に居住を始めます。より正確にいえばナワ系の人々ですが、このナワ系の部族の最後の移住者がメシカ族と呼ばれる人たちで、1300年頃に今のメキシコシティ一帯に移住してきます。
さらに時代をさかのぼると、メキシコシティの北東約45kmの地に広がるテオティワカン遺跡は、紀元前200年から紀元750年ごろまで栄えた古代都市です。
その前の時代には、紀元前800年ごろから紀元初頭にかけてクィクィルコ遺跡が繁栄しており、さらに古くは紀元前2500年ごろから、トラティルコやトラパコジャといった小都市が発展していました。これらの地域は、メソアメリカ最初の大文化とされるオルメカ文化とも深い関わりがあったことが、考古学的に明らかになっています。
このように、今日のメキシコシティ一帯がいかに長い歴史と豊かな文明の積み重ねの上に成り立っているかがわかります。
「メキシコ」の由来

「メキシコ(México)」という国名の語源は、アステカ帝国、正確にはその中心民族「メシカ(Mexica)」にまつわる伝説からきています。
「アステカ(Azteca)」という呼び名は、彼らの故郷とされる「アストラン(Aztlán)」という島の名前に由来します。このアストランの正確な場所は今も特定されておらず、諸説ありますが、メキシコシティの北西、現在のナヤリット州やサカテカス州付近と考えられています。
ナワトル語では地名に「カ(-ca)」という語尾をつけることで「〜の人」という意味になります。つまり「アストランの人々」は「アステカ」と呼ばれるようになったのです。
アステカ人は「月」を神聖な存在として崇拝しており、その月の神は「メシトゥリ(Metztli)」または「メシ」と呼ばれていました。そして、彼らの中にひときわ重要な戦士・指導者が現れます。その名はウィツィロ・ポシュトゥリ(Huitzilopochtli)。
ある時、神々から「ノパル(サボテン)の上でワシがヘビをくわえている島を見つけたら、そこに新しい都を築きなさい」という「お告げ」が下ります。これを信じ、ウィツィロ・ポシュトゥリに導かれたアステカ人たちは旅を続け、やがてお告げ通りの島を発見しました。
この時から、月の神「メシ」の従者=「メシカ(Mexica)」という呼び名が生まれます。「メシ」に「カ(人)」をつけた言葉です。
そして1325年、メシカの人々はその島に都「テノチティトラン(Tenochtitlan)」を築きました。そこは現在のメキシコシティ中心部、ソカロ(Zócalo)のある場所にあたります。
後にこの都には、大神殿「テンプロ・マヨール(Templo Mayor)」が建てられ、右側の祭壇はウィツィロ・ポシュトゥリ神に捧げられました。
国名「メキシコ(Mexico)」は、「メシ(Metztli)」に場所を表す接尾辞「コ(-co)」をつけた言葉、「メシの地=メシコ」から来ており、これがスペイン語の発音変化を経て「メヒコ(México)」となったのです。
メキシコシティの見どころと上手な回り方
メキシコの首都・メキシコシティ。一見コンパクトに見えるこの街ですが、実は歴史・文化・グルメがぎゅっと詰まった、見どころ満載の大都市です。ガイドブックや旅行サイトで紹介されている王道の観光ルートはもちろん、時間をかけて歩くことでその魅力が何倍にも広がります。
定番スポットだけでも1日2日じゃ足りない!
一般的に紹介されているメキシコシティの観光名所といえば:
- ソカロ周辺の歴史地区
- トラテロルコ(三文化広場)
- 国立人類学博物館
- チャプルテペック城
- ルイス・バラガン邸
- フリーダ・カーロ博物館
- ソチミルコの運河
- UNAM(メキシコ国立自治大学)
…など、どれも外せない見どころばかりです。
しかし、メキシコシティをしっかり堪能しようと思えば、2日は必要、内容によっては3日以上かかることも。
だからこそ、自分の興味や目的を明確にし、効率よくルートを組み立てることが、満足度の高い観光につながります。
「時代」で巡ると、メキシコがもっと面白くなる
おすすめは、歴史を時系列で辿るような観光の仕方です。
- 古代の遺跡(アステカ以前)を見てから
- ヨーロッパ人との出会いの場(コンキスタ)へ
- スペイン植民地時代の建築や教会を訪れ
- 独立後〜革命期の英雄たちの足跡を巡り
- 最後に壁画芸術や近現代の美術館・博物館へ
というように順を追って回ることで、それぞれのスポットの意味や背景がつながって理解できます。
例えば壁画に描かれている人物や場面も、実際にその時代の名所を歩いた後なら、ストーリーとして自然に頭に入ってきます。
そしてその後、フリーダ・カーロ博物館や国立人類学博物館、国立歴史博物館へ足を運べば、アートや展示物の一つひとつが、より鮮明に感じられるはずです。
その流れの中でお土産を見たり、タコスや郷土料理を味わったりすれば、「この食材、さっき博物館で見たやつだ!」とリアルに結びつく体験となるでしょう。
「わかってから食べる」「知ってから歩く」からこそ楽しい
限られた時間で訪れる方も多いと思いますが、せっかくのメキシコシティ旅行、ただ移動するだけで終わってしまうのはもったいない。背景や物語を知った上で巡ることで、観光は格段に面白くなります。
弊社では、日本語ガイドがしっかりとサポートし、メキシコシティの深い魅力を効率よくご案内します。
「ガイドブックに載っていないけど、本当に価値のある場所」にもお連れします。
地元の暮らしと味を体験する“もう一歩先”の旅へ
もちろん、ご希望があれば有名な観光地を中心に巡るプランも可能です。
しかし私たちのツアーでは、それだけではありません。
- メキシコ人の台所・地元の市場(メルカド)
- 地方料理が楽しめる小さな名店
- 観光客が訪れない庶民派ポソレ屋
- 地元民と並んでかぶりつく本場のタコス屋台
といった、リアルなメキシコの生活や食文化にも触れることができます。
こうした場所はガイドブックに載ることも少なく、普通の観光ツアーではなかなか足を運べません。
だからこそ、私たちがご案内する「よくわかって、よく味わえるメキシコシティツアー」が、旅の価値をグッと高めてくれるはずです。
私どものツアーではもちろんご希望であればガイドブックに載っているような観光地に真っ先にお連れすることは出来ますが、地元住民の食糧庫とも言える市場“メルカド(Mercado)”や、遠くて行けない地方の郷土料理が食べられる小さな小料理屋だったり、地元の人しか行かないようなポソレ(Pozole)屋だったり、メキシコ人に紛れ込んで庶民の食べ物タコス(Tacos)をほお張ったり、よりリアルなメキシコを肌で感じて頂けます。
それらの場所はもちろん” 有名”でもなければガイドブックにも載らない庶民的な場所であるが故、一般的なツアーでは行くことが出来ません。
【ご注意】
近年では、SNSや個人ブログ、動画サイトなどで“穴場スポット”として紹介される場所も増えています。そうした場所の多くは、治安に不安がある地域であり、観光客が軽い気持ちで訪れるにはリスクが高い場合があります。安全に旅行を楽しむためにも、ネット上の情報をうのみにせず、信頼できる現地情報をもとに行動しましょう。
メキシコシティの写真ギャラリー








メソアメリカを代表する大都市の一つテオティワカン

テオティワカンとは
どの民族が住んでいたのか、どのような政治体制があったのか、そしてなぜ急速に衰退したのか――今もなお多くの謎に包まれているのが、この古代都市・テオティワカンです。
紀元前200年ごろ、オトパメ(Otopame)系の人々によって都市の建設が始まり、AD650年頃には最盛期を迎えました。
最盛期には約20万人が暮らし、面積は実に24平方キロメートルに及ぶ巨大都市となっていました。
しかし、AD750年頃には突然人口が減少し、都市は急速に衰退。その原因はいまだに明らかになっておらず、テオティワカン文化は今も研究者たちを魅了し続けています。
テオティワカンの語源
「テオティワカン」とは、ナワトル語で「人々が神になる場所」という意味です。
語源をたどると、「テオ(Teo)」は「テオトル(Teotl)」=神聖な存在・神を意味し、「ティワカン(tihuacan)」は「テウアカン(tehuacan)」=神になる場所、を意味するとされています。
また、2018年には別の解釈として「テオウアカン(Teohuacan)」という説も提唱されましたが、どちらが正しいのかについては今も議論が続いており、真相は明らかになっていません。
現在「テオティワカン」として知られるこの地名は、実は後の時代にアステカ(メシカ)人たちが名付けたものです。彼らがこの巨大遺跡を目にしたとき、その神秘性からそう呼ぶようになったのです。つまり、本来この都市がどのような名前で呼ばれていたのかは、いまだ謎のままなのです。
テオティワカンの特徴
テオティワカンは、精緻な都市計画のもとに築かれた古代都市です。都市の中心を貫く南北の軸線は、現在「死者の道」として知られていますが、この呼称は後世の便宜的なものです。この軸線は全長約5kmにおよび、南端は農耕地へ、北端は「月のピラミッド」と呼ばれる宗教的建造物に至ります。その延長線上は、さらに北のセロ・ゴルド(Cerro Gordo)という丘の頂へと向かっており、自然地形との結びつきも見て取れます。
テオティワカンや他のメソアメリカの遺跡と言えば春分や秋分の日が注目されますが、メソアメリカ圏の多くの都市、多くの建造物と同様に、2月12日に昇る太陽と、東に見える山の方向に合わせて設計されていることが統計調査から分かっています。
この都市は明確な階級社会を持ち、複数の文化が共同で運営していた国際的な都市国家だったと考えられています。南はグアテマラのマヤ地域、北はサカテカス周辺の文化圏とも交易が行われており、広範な交流ネットワークを持つメソアメリカの中心地でした。
アステカ(メシカ)人の創世神話の中でも、テオティワカンは特別な意味を持っています。彼らはこの場所を「時が始まる場所」と呼び、新しい時代の始まりに、二柱の神が火の中へ飛び込み生贄となって太陽と月に変わったという神話を語り継ぎました。現在「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」と呼ばれる巨大建造物の名称も、後世のメシカ人たちがこの神話に基づいて名付けたものです。
さらに、段状の基壇に垂直面を組み合わせた「タルゥド=タブレロ(Talud-Tablero)」様式は、元々トラランカレカで発明されたとされますが、テオティワカンで盛んに用いられたことで、後のトゥーラやテノチティトランをはじめとするメソアメリカ各地に広がっていきました。
テオティワカンの写真ギャラリー








メキシコ観光の広げ方──他地域と組み合わせて深掘りする旅
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世界遺産のプエブラ市中心部歴史地区とチョルーラを巡るツアー
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グアナファト方面世界遺産4都市周遊
こんな方々におススメです!
- 「メキシコの素顔」を感じたい方
- 時間がない方
- 女子旅
- 性的少数者(LGBTQ+)で羽を伸ばしたい方
- 文化・歴史が好きな方
- ご高齢の方や御身体に不自由がある方でメキシコを存分に楽しみたい方
- 悶悶と過ごしている老若男女
- 少人数での記念旅行(卒業旅行、お誕生日、結婚記念、還暦祝い、親孝行など)
もちろん、上記の方々以外の方でも大歓迎です!