聖母グァダルーペさんの出身地の話。(5/5)


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前回👇の続きです~

12月12日に「グァダルーペ巡礼」が行われるワケ。(4/5)

 

こうしてスペインとメキシコは繋げられた。

聖母グァダルーペさんの“国籍”

前回は

「じゃあ、聖母グァダルーペさんはメキシコ生まれね」

という疑問で終わりました。

 

答えは・・・

 

「いいえ」。

 

(笑)

 

またややこしくなるような?(苦笑)

 

そうなんです、

これだけ熱くメキシコやラテンアメリカで信仰される聖母グァダルーペさんは、

メキシコ生まれの聖母さんじゃありません!

 

これだけ熱心に書いといて、

メキシコ生まれじゃないとはどういうこっちゃ。(苦笑)

 

じゃあ何人?

スペイン人です。(笑)

 

ここまで熱心にテペヤックの奇跡を描いたのに、

メキシコ人ではないとは・・・

 

てことで、

また可能な限り簡潔に書こうと思いますので、

ご興味がある方はお付き合いいただければ嬉しいです。

 

元祖グァダルーペさん

今回も結論を先に書いてしまうと、

元祖グァダルーペはこの方👇

 

お~、肌が褐色どころか黒い?

肌の色は何でもいいんですが、

実はこれ、

スペインのエストゥレマドゥラ地方にある聖母像。

サンタ・マリア・デ・グァダルーペと呼ばれているもの。

 

説なので確証は持てないのですが、

その説によると・・・

この褐色というか黒い聖母像自体は1世紀ごろに修道士ルーカスが彫り制作したようです。

彼の死後その黒い聖母像は彼と一緒に埋葬されますが、

4世頃にルーカスの遺体と共に掘り起こされ、

東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)に移送されます。

 

時は中世になり、

時代はローマ帝国時代。

疫病が流行っ時代にこの聖母がそれを沈めたという言い伝えがあり、

その時代から人々の間で話題になっていたようです。

 

この「奇跡」により、

当時の司教もこの黒い聖母を祭壇に祀るなどし、

後にエストゥレマドゥラ地方のセヴィジャ(Sevilla)の司教のもとに移送されます。

 

イベリア半島のアラビア化と聖母の行方

711年、

ここからスペインは約800年にも及ぶ厳しい時代に突入します。

南からアラブ人が攻め入り、

スペインがあるイベリア半島を占領してしまうんです。

ここからスペインの国土回復運動(レコンキスタ)と呼ばれる抵抗が始まるわけですが、

1492年まで800年近くも続きます。

 

👆これが理由で建築や言語、食にアラビア文化の影響が残り、

メキシコの初期のヨーロッパ建築や、

人名、地名、食べものにもアラビア語が語源のものが多いんです。

詳しくは現地でご紹介します~

 

このアラブの侵攻により、

時のエストゥレマドゥラの司教は、

他の聖職物と共に、

この黒い聖母を「とある川」の畔に埋めて隠し避難します。

結局そこに約500年もの間隠されていたようです。(説)

 

時は流れアラブ勢力は衰退。

14世紀にはいり、

ついにアラブ人完全追放の兆候が見えてきました。

 

そんな時、

「奇跡」が起こります。

 

スペインで起こった「奇跡」

エストゥレマドゥラ地方にヒル・コルデロ(Gil Cordero)という方が、

自宅近くでいつものように放牧していたそうです。

ところが気が付くと一頭の牛見当たりません。

その後“死んだ”状態でその牛が見つかり、

仕方なくコルデロさんは牛皮にすべく準備をしていました。

 

その時です。

いきなり死んだはずの牛が、

コルデロさんの目の前で生き返ったのです。

それと同時に奇妙な現象が。

目の前には牛だけではなく、

「聖母」が現れたのです。

そして聖母はコルデロさんにこう言います。

 

私は神の母。

今から地元に帰り、

修道士たちにこの出来事を伝え、

ここに彼らを連れて戻ってきなさい。

そして、今その牛がいる下の地面を掘るのよ。

そこに私の像が埋もれているから。

そしたらそこに小さな社を建てなさい。

その社は後に偉大な寺院になるわよ。

 

と。

 

コルデロさんは早速地元に戻り、

このことを伝えます。

しかしそんな「奇跡」を誰も信じてくれません。

 

そうこうしている内に、

コルデロさんの弟が亡くなってしまいます。

聖職者たちは彼のお葬式の準備をしていました。

その時です。

 

コルデロさんの牛と同じように、

彼の弟も生き返ったのです。

その弟曰く、

「聖母が抱き上げてくれた」

と。

 

この“証言”により、

コルデロさんを信じなかった聖職者たちはコルデロさんの体験を信じ、

その牛が生き返った場所へと戻るのです。

そして、

聖母に言われた通りに地面を掘り起こすと、

あるではないですか!「黒い聖母像」が!

 

「グァダルーペ」の由来

更に言われた通りに、

そこにお社を建てたのでした。

その聖母の予言通りに、

その後その場所には偉大な教会が建てられ、

サンタ・マリア・デ・グァダルーペ修道院(Real Monasterio de Santa María de Guadalupe)

としてユネスコの世界遺産にも認定されています。

 

で、その「とある川」というのが、

修道院の南に流れる小川「グァダルーペ川」。

👇①がグァダルーペ川、②が修道院

だからマリアさんはマリアさんでも「グァダルーペ」のマリアさん。

だからSanta María de Guadalupeなんです。

 

で、(苦笑)が続きます。

そのグァダルーペ(Guadalupe)という名称。

これ、

実はスペイン語じゃないんですよね。

ヘブライ語でもない。

何語かというと・・・

アラビア語。

 

諸説あって、

絶対的な正解はないんですが、

学校の歴史博士の先生によると、

Guadaはwadi、

アラビア語で「川」。

LupeはAl-luben、

アラビア語で「小さい」とか「狭い」。

繰り返しますが、

特にAl-lubenの部分は諸説あります。

 

「小さい川」

 

アラブ人からの国土奪還(レコンキスタ)が無事終わり、

この黒い聖母はエストゥレマドゥラ地方奪還の象徴に位置づけられます。

 

聖母グァダルーペとメキシコの繋がり

という歴史的背景もあり、

コロンブで知られるクリストバル・コロンは、

あの有名な1492年のインドへの航海の出発に先立ち、

このSanta Maria de Guadalupe修道院でイサベル1世に謁見しています。

翌年、あの有名な「アメリカ大陸の発見」、

ではなくて「ヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に到達」の後にもこの修道院を訪れています。

 

ココで質問です。

この黒い聖母グァダルーペのマリアさんと、

メキシコのグアダルーペさんと繋がるのか?

 

スペインとメキシコを繋げた人、

はい、エルナン・コルテスです。

アメリカ大陸の3大征服者の一人として、

コロンブスとピサロと共に、

世界史上に名を残している人物。

👇この人。

👇左の赤い四角がコルテスの墓

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👇左がコルテスの子孫右がメシカ(アステカ)の皇帝モクテスマの子孫(2019年11月8日の記念式典で“再会”)

 

エルナン・コルテスが、

このエストゥレマドゥラ出身で、

国土回復の象徴を新大陸メキシコ(当時はメシカ時代)侵略の象徴としたのです。

だから白人のマリアさんではなく、

黒でもなく、

褐色のグァダルーペさんを“登場”させたのでした。

 

あ、ちなみに・・・

通常「Virgen de Guadalupe」と呼ばれていますが、

正式にはやはりSanta María de Guadalupeです。

その証拠に、

「グァダルーペ寺院」の正式名称も、

「Basilica de Santa Maria de Guadalupe」です。

 

Basilicaというのは、

教会のランクの一つ。

最上位がカテドラル(Catedral)です。

👇ソチミルコのカテドラルSan Bernardino de Siena

 

ヨーロッパ旅行の目的が出来ました。

はい、

と言うわけでして、

書き始めたら止まらず、

キオテ通信史上最長の稿になってしまいましたが、(苦笑)

これがメキシコを中心に、

大航海時代にカトリック教国であるスペインやポルトガルに「征服」された、

ラテンアメリカ諸国の人達が、

「12月12日」に、

メキシコシティのテペヤック(正式名称Tepeyacac)を目指し、

巡礼する理由でございます。

👇ここを目指します。

 

こう見て行くとですね、

テペヤックのグアダルーペ寺院から、

大西洋を挟んで反対側のスペインとも繋がり、

アラブ圏も含めた世界史が、

一つの年表にポンッと収まるのです。

 

僕は元々ヨーロッパにはほとんど興味がなく、

せいぜい有名でみんな行くフランスのエッフェル塔に上り、

スペインではサグラダファミリア教会を見たい、

以上!だったんです。(苦笑)

 

ところが今では、

フランスで真っ先に行きたい場所はポルフィリオ・ディアス大統領の墓と、

スペインで真っ先に行きたい場所はサンタ・マリア・デ・グァダルーペ修道院です。(笑)

 

前にも書いたと思いますが、

僕は歴史上の人物のお墓巡りをしたいという、

変な“性癖”があるようで、(苦笑)

メキシコと関係がある人だと、

第2次メキシコ帝国皇帝のマキシミリアン1世、

あとメキシコとは関係ないですが、

ナチ党員でありながら、

多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーさんのお墓。

あとはナポレオン・ボナパルトと、

ナポレオン3世のお墓も。

公開されてるんでかね?

 

あとは、

戦争関連の場所など、

歴史上重要な場所。

 

自分でも信じられないんですが、(苦笑)

ただのミーハーな旅行から、

歴史の中心にいた人物やその場所に行くという旅。

 

たぶん、

メキシコでガイド業に出会っていなかったら、

一生興味を持つことはなかったでしょうし、

そういう場所に行くことも一度としてなかったでしょう。

 

「スペインならサグラダファミリア教会だよね」って、

写真だけ撮って終わっていたと思うんです。

それじゃ、

スペインという国にせっかく行ったのにもったいない、

ということを感じられるようになったことに感謝感謝。(笑)

 

壮大な世界史を自分の5感で感じられる旅。

最高に楽しみです。

 

ヨーロッパとメキシコ、

繋がっていないようで、

こういうところで繋がっています。

 

既にスペインに行った人はぜひメキシコで、

その延長線をお楽しみください。(笑)

逆にスペインがまだの人は、

まずはメキシコに来ていただき、

その後に行くスペインの地で、

大西洋の向こうのメキシコを思い出してください。(笑)

 

どちらにしても、

きっと忘れられない壮大な旅になるでしょう。

 

てなわけで、僕はこれから機上の人となり、

太平洋を渡る旅にでます。

 

ごきげんよ~

 

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