深まるチチェンイッツァの謎:1500キロ離れたトゥラとの関係・後編

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メキシコ在住18年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

前回👇の続きです~

深まるチチェンイッツァの謎・前編

 

チチェン・イッツァ・その2

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チチェンイッツァの始まり

前回は名前の説明だけで終わってしまいましたチチェン・イッツァ。(苦笑)

今回2回目です。

 

この都市の全盛期は、

1000年頃から1200年頃と考えられています。

 

繰り返しになりますが、

それらの年に、

キッチリ始まりと終わりがあったのではなく、

もちろん1000年よりかなり前(チチェンイッツァは少なくてもその500年前)から、

人の居住はあったのです。

 

1200年以降は勢力は衰えたものの、

宗教的に使用され続けられました。

 

チチェンイッツァの謎

なんでこの遺跡が重要視されているのか。

その理由の一つを一言でいうと、

「遠く離れたトゥラ(Tula)遺跡の建造物と瓜二つの建造物がこのチチェンイッツァ遺跡にあるから」

です。

👆この二つの建物上がチチェンイッツァ、下がトゥラ

👆両都市の位置関係
直線距離で1120キロ、
陸路で行くと約1500キロです。

 

皆さん、

どう思います?

今から1000年も前の時代ですよ!

 

ここまで明確に巨大な建造物という形で、

トルテカ文化の首都トゥラの特徴が出ている建造物は、

他にはないんです。

 

トゥラの勢力がそんなに大きなものであったのであれば、

他の地域にも、

もっと同じような建造物があってもいいはず。

 

正確に言うと、

あったかも知れませんが、

チチェンイッツァほどの規模のものは、

少なくても今日までは見つかっていないのです。

 

考えられる3つの説

これについて、

大きく分けて3つの“説”があるんです。

「説」なので、

絶対的なものではないのも注意すべきですね。

 

一つ目は、

トゥラのトルテカ人による建設。

 

二つ目は、

マヤ系有力部族のチョンタル族を介して、

トルテカの影響がチチェンイッツァまで伝わったという説。

 

三つめは、

マヤ前期のティカルやカラクムルを介したという説。

 

有名なテオティワカンが700年代に衰退した後、

敵対関係にあったカントナが、

メキシコ中央部(今日のメキシコシティ周辺の地域)アルティプラノ圏で最大規模の都市となり、

トルテカ文化のトゥラが台頭し始める900年頃まで勢力を維持します。

👆アルティプラノ・セントラル圏の各都市の年代
これらの都市以外にもチョルーラやソチカルコなどの都市はありますが、
ココでは省いています。

 

その後トゥラは1150年頃まで、

アルティプラノ圏はもとより、

ベラクルスや遠くはマヤ文化にも影響を及ぼします。

 

トルテカ人によるチチェンイッツァの都市建設の説は、

マヤ系チョンタル族の仲介説と対峙することになります。

 

マヤ系のチョンタル族とは

10世紀頃に、

チョンタル族は今のタバスコ州の東の方に定住していたと考えられています。

👆このあたりです。

 

このエリアというのは、

オルメカ文化の繁栄にも共通する点でもあるのですが、

交易において非常に重要な位置なんです。

 

地峡で人やモノ、

それに加えて文化が集まりやすいからです。

 

チョンタル族は、

ユカタンのマヤ圏、

メキシコ湾側、

そしてメキシコ中央部の物流を仕切っていたと考えられています。

 

これによりチョンタル族は、

トゥラのトルテカの影響を受けると同時に、

ユカタンのマヤ系民族とも交流があり、

次第に両極の文化はチョンタルを介して影響し、

チチェンイッツァの建設に繋がった、

というのが二番目の説です。

 

建造物はトゥラの繁栄以前に造られた?

しかぁ~し、

その後に行われた調査で、

チチェンイッツの主要建造物の年代を調べたところ、

800年頃から900年代半ば頃までに建設されたという事がわかりました。

 

「???」

 

チチェンイッツの主要建造物=800年代~900年代前半

トゥラの全盛期=900年~1150年

チチェンイッツの全盛期=1000年~1200年

 

つまり、

トゥラがアルティプラノ圏で絶大な勢力を張る前から、

チチェンイッツの主要建造物の建設は成されていた、

ないしは、

仮に完成はしていなかったとしても、

他の文化圏(マヤ圏)の首都であるチチェンイッツァに、

「なんらかの形」で、

トルテカ文化を影響を色濃く反映させるほどの

「人間関係」

が既に出来上がっていたという事ですね。

 

果たしてこれは起こりうる事なのか、

というのが焦点です。

 

スペイン人の史書にある気になる記述

3つ目の説は、

マヤ前期の主要都市、

カラクムルやティカルによる建設です。

 

スペイン人が纏めた史書によると、

“トラン(Tollan)”の人間が、

チチェンイッツァを建設した、

というものです。

 

その史書にはそのトランの人間とも交流があったと記されています。

長くそのトランとはトゥラと考えられていましたが、

この史書で言われるトランは、

同じマヤ文化のカラクムルやティカルではないか、

と考えられるようになりました。

 

つまり、

トゥラのトルテカ人でもマヤ系チョンタル人でもなく、

マヤ前期の主要都市のマヤ人によって、

チチェンイッツァが建設されたのではないか、

というものです。

 

トルテカとマヤの関係について、

僕の勉強不足でまだ十分に説明出来かねますが、

トゥラ以前のテオティワカンは、

マヤ文化との交易があったということは、

ティカルやコパンの石碑から解っている事実です。

だからトゥラとそれらのマヤ前期の大都市とも、

なんらかの接触があったとしても不思議ではない?

 

皆さんはどうお考えになりますでしょうか?(笑)

 

私見では・・・

僕はチョンタル族を介した説が、

最も現実性がありそうな話だなぁと考えています。

 

これについては、

未だにコレという確実な証拠というのはないんですね。

そのため、

メキシコ考古学上最も「難しい」とされる「謎」の一つなんです。

 

メキシコ旅行で、

この「謎」に挑んでみてください。(笑)

 

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