深まるチチェンイッツァの謎・前編
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
チチェンイッツァ。
言わずと知れた?
メキシコの観光名所の中でも特に有名な場所ですね。
カンクンに行かれる方でしたら、
ほぼ必ずセットで行かれる事が多いと思います。
あとは、
春分の日にの「あのイベント」ですね。
メインの宗教的建造物“エル・カスティジョ”の
東側の階段(ではなくてエスカリナタといいます)に
光と影が表す“模様”が、
「ククルカンの降臨」
を意味するとされ、
それを見に毎年大勢の観光客で賑わいます。
ククルカンというのは、
ヘビの形をした神様です。
これについてはまた書く機会があると思います。
☟☟☟これです。
(Fuente Arqueologia Mexicana)
インスタを見ていても、
メキシコに行った人の写真には、
だいたいチチェンイッツァか
テオティワカンが出ています。
一方で注意したいのが、
こういう遺跡って、
有名・無名という基準で、
重要・重要でないかが
決まるわけではないという事は
知っておいた方がイイですね。
例えば、
後でちょっとお話しますトゥラ(Tula)。
この遺跡は900年から1150年ぐらいまで、
絶大な勢力を張ったメソアメリカの主要都市の一つだったのです。
あのメシカ(アステカ)人も崇拝したトルテカ文化の首都です。
しかぁ~し、
殆ど誰も聞いた事がないと思います。
ガイドブックにも、
“備考”的にちょこっとだけ書いてあります。
観光会社も売れない遺跡は興味が無いらしく、
案内すらしません。
僕はこれまでに一度だけお客様をお連れしたことがありますが、
その歴史を知らないと、
「感動」
を得られないカモしれません。
話を元に戻すと、
知名度と重要度に必ずしも相関関係はないんですネ。
それで、
チチェンイッツァが何でそんなに有名なのかというと、
先ず、
国内に2万以上はあると言われるメソアメリカの都市跡(遺跡)の中で、
テオティワカンなどと並び、
最も調査された遺跡の一つだからです。
という事は、
それに伴う情報も沢山あるわけですね。
二つ目は立地です。
世界的に有名リゾートであるカンクンエリアから、
200キロ足らず。
時間にして2時間半弱で到着できます。
という事は、
「ククルカンの降臨」イベントなども催しやすい、
ということです。
さてさて、
前置きをしている間に、
決めている文章量の半分を超えてしまいました。(焦)
これは2回に分ける必要がありますね。
まず、
チチェンイッツァという名前。
Chi Ch‘en Itz á
と書きます。
その意味は、
「イツァエスの泉の淵」
です。
泉と行っても大きいのですが、
直径約60mの円形、
淵からの深さは33mぐらいです。
この泉を、
「セノテ」
といいます。
Cenoteです。
セノテについてはまた詳しく書きますが、
このあたりに太古に衝突した超巨大隕石の衝突によって形成された地下の空洞に水が溜まったものなんです。
そのセノテの淵にあるのが、
このチチェンイッツァの遺跡です。
この遺跡にあるいくつかのセノテの内、
代表的なものはチェンク(Chenk ú)、
通称「聖なるセノテ」
と呼ばれていて、
冒頭のよくメディアに出てくるメインの“ピラミッド”から、
北に300m程の所にあるんです。
セノテの存在は、
この遺跡の特徴の一つでもあるんですね。
理由は、
宗教的セレモニーに大々的に使われていたからです。
過去に2度行われた潜水調査では、
セノテの底に大量の人骨や“お供え物”が見つかっています。
もうお察しの通り、
人身生贄の儀式に使われていたようですね。
あとイッツァとは、
マヤ系民族のチョンタル族、
別名プテゥン族の一グループの呼称です。
周辺の部族は、
彼らをイツァエスと呼んでいました。
ややこしいですね。
イッツァ=マヤ系チョンタル族=イツァエス
と覚えて下さい。
そんな理由で、
チチェン・イッツァと命名されています。
今回は名前の説明だけで終わってしまいましたが、(苦笑)
次回もう少し詳しく書きますね。
お楽しみに~
#MexicoCentralTours
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