コスメルの話。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

コスメルの話。

☝1518年この海岸線に初めてスペイン人が現れ、1519年に上陸します。

 

先日コスメルの写真を投稿したので、

せっかくなので少し書いておきますネ。

 

コスメルと言えばもっぱら透き通る海や、

ダイビングやシュノーケリングの“聖地”として有名だと思います。

 

日本のテレビでも取り上げられるようですね。

 

カンクンは白い砂浜、ビーツがキレイですが、

コスメルは水が透明なんです。

そのコスメルなんですが、

35万㎢の巨大なマヤ圏の中で最も東に位置します。

☟ここです。

ちなみに日本は37.7万㎢なので、

どれだけマヤ圏が広いのかが分かりますネ。

メキシコの国土の17.5%に相当する広さです。

 

その最東端。

 

昔の人達も、

今の人達みたいにダイビングして楽しんでいたんでしょうかね?(素朴な疑問)

 

実はこの島、

メソアメリカ時代(マヤ時代)には商業、物流の一大拠点だったのです。

 

物流ってどの範囲の物なのかというとこれがまた広い。

 

南はホンジュラスから、

コスメルを介し、

ユカタン半島をぐるりとまわりメキシコ湾へ、

到達点はカンペチェやタバスコ沿岸でした。

 

商品の輸送には“カヌー”を使っていたようです。

カヌーって今どきのカヌーじゃないですよ。(苦笑)

もっとおっきなものです。

 

その絵があるのですが、

3人が乗る姿が描かれています。

こんな感じです。☟

(出典:Arqueología mexicana https://arqueologiamexicana.mx/mexico-antiguo/la-navegacion-maya)

 

でもよく“こんな”筏で海を行っていましたよね。

“こんな”といっては失礼ですが、

プラジャ・デル・カルメンからコスメルに行った時に使ったフェリーだって、

結構揺れましたよ。

☟ここ。

 

特別に荒れていたわけではないですが、

たかだか16キロの海峡でも、

小さな“筏”での移動は大変な事だったと思います。

 

島の大きさは392㎢で、

日本でいうと熊本市よりちょっと大きいぐらい、

と言えば分かりますでしょうか。

よく使われる東京ドームだと、、、

8394個分ですって。(苦笑)

 

どっちにしても僕にはよく分かりません。(痛)

 

とにかく特別に大きくもなく、

決して小島でもないコスメル島。

 

その歴史は古いんです。

初期の人類の生活の痕跡は、

科学的根拠に裏付けられるものだけでも、

今から2300年前、

紀元前300年頃まで遡ります。

最低でも。

もしかしたらもっと前から人が住んでいたのカモしれません。

 

もちろん当時は今のような街はなく、

小さな集落があるぐらいで、

それが商業の発達とともに拡大していき、

600年頃には、

建築物の建築技術も急速に発達したことがわかっています。

 

1000年頃には、

あの有名なチチェンイッツァが繁栄を始めますね。

そうすると、

その商圏に含まれるようになり、

更に発展を遂げ、

1200年からスペイン人が来る少し前、

1450年ごろまでは大きな街として栄えるのです。

 

島内には、

確認されているものだけでも

30もの当時の建造物の跡が見つかっていて、

その中でも最も大きなものが、

San Gervasio(サン・ヘルバシオ)遺跡です。

建築様式にマヤパンやトゥルムなどと類似点もみられます。

 

この島の東岸、

先日の僕が写った写真(☟コレ)の海岸線には、

いくつかの見張り台?があったようです。

 

見張り台なのか、

宗教的施設なのかは定かではありませんが、

1518年にスペイン人(フアン・デ・グリハルバ)によってはじめてこの島が“目撃”された時に、

それらの“見張り台”の上でスペイン人に警告する為に?火が焚かれていたと、

史書に書かれています。

 

日本の黒船じゃないですが、

初めてスペインの大きな船を見た当時の人達は、

たいそうたまげたことでしょうね。

☝この海岸線にスペイン人が現れました。

 

どういう心境だったんでしょうね。

恐怖だったのか、好奇心が湧いたのか、

どうだったんでしょうね~。

 

実は彼らにとって“ガイジン”=異国人の存在については、

これが初めてではなかったのです。

 

初めてこの島が“目撃”されたのにも関わらず、

ガイジンの存在自体は初めてではなかった。

 

どういうことかと言うと、

実はこのエリア(ユカタン半島東部)には、

この“目撃”の7年前の1511年に

スペイン人が“漂着”していたのです。

つまり船ではなく、流れついたのです。

 

そしてその内2人が、

なんとマヤ人たちとその後も生活を共にしていたのです。

 

その後の彼らの運命はいかに・・・

 

これがまたなかなか面白いのでまた次回に書きますネ。(笑)

 

ではでは~

 

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