メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(1/2)

 

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メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(1/2)

(出典:Relatos e Historia en Mexico)

日系人の話

一昨日、

日本とメキシコの戦時中の関係について書きました。

在メキシコ日本人移民の戦争の記憶。日本戦争をしていないメキシコで起こっていたこととは。

 

その当時で、

在メキシコ日系人は6000人ぐらいいましたよ、

という話でした。

 

ちなみにですが、

在留邦人と、

海外日系人とは別物なのでご注意下さい。

 

公益財団法人海外日系人協会によりますと、

海外日系人をこう定義しています。

日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、混血は問いませんが、そういう方々を海外日系人として定義しています。

(出典:http://www.jadesas.or.jp/aboutnikkei/

 

という事は、

僕は日本人ですが、

永住目的で海外に本拠地を移していますので、

「海外日系人」という類になるようです。

 

在留邦人は、

永住を目的としない人達、

例えば留学生とか企業の駐在員とか。

その国に留まる予定が無い人達。

 

この日系人というくくりでいうと、

一番大きい国はブラジルで約200万人もいるようです。

続いてアメリカが130万人ぐらい、

ペルーは10万人ぐらい、

メキシコは2万人となっていますね。

 

でもこのデータってちょっと古いので、

現在はもっと多いのだと思います。

 

とにかくそれぐらいの日系人が、

各国にいるという話。

 

メキシコへの日本人移民

他の国の事情はまだ調べていないのでよく分からないのですが、

規模でダントツを誇るブラジルへの日本人移民て、

実はメキシコより11年遅いんです。

 

メキシコへの最初の日本人移民は1897年とされています。

 

榎本武揚(たけあき)さんによって推進された「榎本移民団」とされている人達です。

 

1897年の3月に36人を乗せた船が横浜を出航、

同年5月末にメキシコは南部のチアパス州のサン・ベニト(San Benito港)に到着します。

☟ここ

 

途中一人がアカプルコで病死しているので、

無事についたのは35人または34人とされています。

 

そして彼らは、

このエスクィントゥラとそのお隣に定住します。

👇ここ

 

ここで疑問に思われる方も多いでしょう。

そもそも何でメキシコに?と。

しかもなんでチアパス州の端っこもいいところに?と。

 

スペイン語と日本語の資料(どちらも公式機関発行のもの)を少し読んでみたんですが、

ちょっと食い違る点がありますが、

大体はこうです。

 

日本とメキシコの接点

最初の接点に遡れば1614年の支倉常長率いる慶長遣欧使節団の、

アカプルコ入港なんですが、

メキシコへの移民については1862~67年頃に遡ります。

 

中心人物は上述しました榎本武揚さん。

(出典:Relatos e Historia en Mexico)

 

江戸幕府の幕臣でした。

日本地図を初めて作った伊能忠敬さんの弟子の息子さんなんです。

 

62年頃にアメリカに留学する予定だったらしいんですが、

アメリカでは南北戦争が勃発し、

留学先をヨーロッパに変更します。

 

オランダで勉強したそうですが、

メキシコへの移民への転機はフランスでのある出会いです。

 

👇この人。

 

ジュール・ブリュネ(Jules Brunet)という人。

 

たぶん、

知らない人も多いと思うんですが、

この方、

ある映画でKen Watanabeさんと主演を務めたトム・クルーズが演じる人物。

 

はい、「ラスト・サムライ」ですね。

 

当時榎本さんはオランダを中心に船舶運用を勉強していて、

フランスに赴いた時に、

何人かのフランス軍高官と知り合います。

榎本さんの興味を惹いたのが、

彼らが経験したメキシコの話だったのです。

彼らは港があるベラクルスや、

「シンコ・デ・マヨ」でしられる1862年5月5日のプエブラの合戦の様子を榎本さんに話したのでした。

 

じゃあどうやって、

榎本さんはメキシコと急接近できたのか・・・

 

続きは次回に~👇

メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(2/2)

 

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