メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(1/2)
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現地在住の視点で書きながらも、
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春休み旅行、ゴールデンウィーク、夏休み、そして年末年始、
2023年の海外旅行は「未知の国メキシコ」への旅行はいかがでしょう。
(出典:Relatos e Historia en Mexico)
江戸幕府の幕臣でした。
日本地図を初めて作った伊能忠敬さんの弟子の息子さんなんです。
62年頃にアメリカに留学する予定だったらしいんですが、
アメリカでは南北戦争が勃発し、
留学先をヨーロッパに変更します。
オランダで勉強したそうですが、
メキシコへの移民への転機はフランスでのある出会いです。
👇この人。
ジュール・ブリュネ(Jules Brunet)という人。
たぶん、
知らない人も多いと思うんですが、
この方、
ある映画でKen Watanabeさんと主演を務めたトム・クルーズが演じる人物。
はい、「ラスト・サムライ」ですね。
当時榎本さんはオランダを中心に船舶運用を勉強していて、
フランスに赴いた時に、
何人かのフランス軍高官と知り合います。
榎本さんの興味を惹いたのが、
彼らが経験したメキシコの話だったのです。
彼らは港があるベラクルスや、
「シンコ・デ・マヨ」でしられる1862年5月5日のプエブラの合戦の様子を榎本さんに話したのでした。
じゃあどうやって、
榎本さんはメキシコと急接近できたのか・・・
続きは次回に~👇
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メキシコ在住17年目のメキシコガイド兼ドライバーが、
複雑で広大なメキシコを、 【お得】で【楽】で【濃厚】な完全プライベート日本語ツアーで、 数々の遺跡からグルメ、各地の見所、そして雄大なメキシコの山まで、 尽きる事のないメキシコの魅力をご案内しております。 今日も呑気にメキシコから書いています~メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(1/2)

(出典:Relatos e Historia en Mexico)
日系人の話
一昨日、 日本とメキシコの戦時中の関係について書きました。 https://mexicoct.com/blog/guerramundial/ その当時で、 在メキシコ日系人は6000人ぐらいいましたよ、 という話でした。 ちなみにですが、 在留邦人と、 海外日系人とは別物なのでご注意下さい。 公益財団法人海外日系人協会によりますと、 海外日系人をこう定義しています。日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、混血は問いませんが、そういう方々を海外日系人として定義しています。(出典:http://www.jadesas.or.jp/aboutnikkei/) という事は、 僕は日本人ですが、 永住目的で海外に本拠地を移していますので、 「海外日系人」という類になるようです。 在留邦人は、 永住を目的としない人達、 例えば留学生とか企業の駐在員とか。 その国に留まる予定が無い人達。 この日系人というくくりでいうと、 一番大きい国はブラジルで約200万人もいるようです。 続いてアメリカが130万人ぐらい、 ペルーは10万人ぐらい、 メキシコは2万人となっていますね。 でもこのデータってちょっと古いので、 現在はもっと多いのだと思います。 とにかくそれぐらいの日系人が、 各国にいるという話。
メキシコへの日本人移民
他の国の事情はまだ調べていないのでよく分からないのですが、 規模でダントツを誇るブラジルへの日本人移民て、 実はメキシコより11年遅いんです。 メキシコへの最初の日本人移民は1897年とされています。 榎本武揚(たけあき)さんによって推進された「榎本移民団」とされている人達です。 1897年の3月に36人を乗せた船が横浜を出航、 同年5月末にメキシコは南部のチアパス州のサン・ベニト(San Benito港)に到着します。 ☟ここ [su_gmap address="San Benito, Chiapas"] 途中一人がアカプルコで病死しているので、 無事についたのは35人または34人とされています。 そして彼らは、 このエスクィントゥラとそのお隣に定住します。 👇ここ [su_gmap address="Escuintla, Chiapas"] [su_gmap address="Acacoyahua, Chiapas"] ここで疑問に思われる方も多いでしょう。 そもそも何でメキシコに?と。 しかもなんでチアパス州の端っこもいいところに?と。 スペイン語と日本語の資料(どちらも公式機関発行のもの)を少し読んでみたんですが、 ちょっと食い違る点がありますが、 大体はこうです。日本とメキシコの接点
最初の接点に遡れば1614年の支倉常長率いる慶長遣欧使節団の、 アカプルコ入港なんですが、 メキシコへの移民については1862~67年頃に遡ります。 中心人物は上述しました榎本武揚さん。

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