メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(2/2)


 

あなたの1日、ココから始まります。(笑)

役に立つお得なメキシコ情報をほぼ毎朝発信!

 

メキシコ在住16年目、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、

いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供している、

メキシコ観光省認定日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

メキシコの数々の遺跡からグルメ、地方の見所、そしてメキシコの雄大な山まで、

尽きる事のないメキシコの魅力をお得にご案内しています。

 

今日も呑気にメキシコから書いています~(笑)

 

メキシコの日系人の知られざる過去。そこには意外な人間関係が。(2/2)

(出典:Relatos e Historia en Mexico

 

前回の続きです~

メキシコへの日本人移民・その1

 

そもそもなんでメキシコなのかってところで終わりました。

 

榎本さんはフランス滞在中に、

1862年、63年にメキシコに侵攻を経験したフランス軍高官と知り合います。

その中に上記のジュール・ブリュネという人がいたんです。

実はこの人、

日本で1868年の戊辰戦争に関わっているんですが、

日本行きの前に、

1863年のフランス軍の2度目のメキシコ侵略の際に、

フランス軍の指揮を執っているんです。

だからメキシコの事をよく知っていたんですね。

 

榎本さんは優れた軍人である彼と友情を築き、

日本の兵力強化のために日本へ呼び寄せたのでした。

 

だからメキシコが選択肢の中に入ったんです。

 

それで今度は、

なんで榎本さんは外国に移民を送りたかったのかってこと。

 

これも実は知っている人は意外と少ない?

 

蝦夷共和国。

 

初代総督が榎本さんの独立した“国”ですね。

榎本さん率いる共和国樹立支持者たちは独立を「宣言」するも、

正式には独立国家としては認められなかったとか。

 

共和国ってのは、

彼の周りの人が付けたようですが、

戊辰戦争で負けた後、

榎本さんを含む幕府側の人達は江戸を脱出し、

北海道は函館に向かいます。

北海道で独立した国家を立ち上げようとしたんです。

 

この新国家の樹立の目的って言うのは、

実はハッキリしていないようですね。

表向きは、

対ロシアの警備とか北海道の開拓と書かれていたりしますが、

本当のところは・・・なぜなんでしょう。

 

この点メキシコの資料によると、

フランスで感銘を受けた哲学者シャルル・フーリエの思想と、

武士の思想に共通点を見出し、

それを受け継ぐ新国家(日本)を作りたい、

という野望があったと書かれています。

 

蝦夷での立て籠もりのあと、

政府軍の黒田清隆に降伏し、

数年の拘束を経て、

彼の才能を買われて明治新政府の要職に就くことができたのです。

 

この後、

榎本さんが連れてきたフランス人の戦友ジュール・ブリュネは、

フランスに強制送還処分となります。

 

その後、榎本さんは明治政府内で地位を上げ、

1891年に在日メキシコ大使と一等書記官に出会います。

自身の「野望」は忘れぬまま。

そこでかねてから夢であった外国での「日本」の樹立計画を話すのです。

その一つが戦友ブリュネが語っていたあのメキシコで。

 

当時メキシコは、

ポルフィリオ・ディアスの長期政権下。

ディアスの経済成長政策の一環で、

外国移民の奨励と利害と一致し話は進みます。

 

それから約6年にも渡って、

調査団を何度か派遣し、

メキシコ国内での入植地の“調査”を行ったようです。

 

がぁ、

これが思わぬ事態へと進む要因となってしまいます。

 

1897年3月24日、

36年の有志で集めた36人を乗せた船は横浜を出航、

5月10日にチアパス州San Benitoに入港します。

☟ここ

 

一行は“調査済み”であった入植地エスクイントゥラに向かうのです。

☟ここ

 

しかし、様子がおかしくなります。

過酷な暑さと大雨、マラリアなどの感染症、

そして資金不足、

更には書物で十分に知識を得たはずのコーヒーが全く育ちません。

そんな見当違いの状況に、

入植者たちは助けを求め首都へ1200キロの道のりを徒歩で脱出したのでした。

そこで外交官の室田義文に出会い、食料などを援助してもらうも、

契約尊守を理由にチアパスに戻るように指示されるのです。

 

このチアパスの調査にあたった一人に草門とらじさんという人がいたそうです。

彼はこの「怠慢」を移住者に対して土下座して謝ったとか。

資金調達と事態の改善を約束し、

日本は戻ったのですが結局その約束は果たさられぬまま自害したとか。

 

そんなことで、

その後どの程度までコーヒー事業が伸びたのかわかりませんが、

現在も彼らの子孫がこの地域に住んでいるのです。

現にYamamoto、Komukai、Ootaという苗字が多いのです。

 

僕はまだこのエリア、

チアパス南部には行ったことがないので、

村の様子は説明でき兼ねるのですが、

コロナが明けた折には行ってみようと思います。

登山と遺跡巡りも兼ねて。(笑)

 

このエリアは、

メキシコ最初の文化オルメカの前身と思われるモカジャ(Mokaya)という人々が住んでいたエリア。

最古の「ボールの儀式場」が見つかっていて、

推定紀元前3000年頃ごろのものとされています。

 

現在のメキシコの礎となる文化が産声を上げていた時期である場所。

歴史にご興味がある方はぜひ行ってみて下さい~

 

メキシコの日系人社会の始まりの話でした。

メキシコとの意外な繋がり、

少しでもお分かりいただけましたでしょうか。

 

ではではー

 

メキシコ発【キオテ通信】バックナンバーはこちら!

SNSでもどうぞ!

#MexicoCentralTours

facebook instagram

メキシコ旅行無料何でも相談窓口はこちら☟
どしどしお問合せ下さい!

または、
メール ko@mexicoct.com
ライン koiwasaki-mx
友達追加はこちら☟
Add friend
必ず24時間以内に返信を差し上げております。
もし返信がない場合には、技術的な問題で届いていない可能性が考えられます。
大変お手数ではございますが、フェイスブックメッセンジャーまたはお電話下さい。
050-5539-7594(国内通話料金が掛かります)

呼び出しや応答までに若干時間が掛かります。
また、時差(日本−15時間)や通信状況によってお電話を受けられない場合が御座います。
その場合は後ほど着信番号にお電話させて頂きます。何卒ご了承ください。

【ラテン式人生のリバイバルコーチング事業】
私岩﨑はICF(インターナショナル・コーチング・フェデレーション)認定、
ライフコーチング業も営んでいます。
皆さんが一度限りの人生、
限りある人生を有意義に生きられるようお手伝いさせて頂きます。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください。

ラテン人生のリバイバルコーチング事業はこちら