【カトリック最終回】聖母グアダルーペってなんなの?
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」 をモットーに、 メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。こうして生まれたグアダルーペ様

グアダルーペとは
前回はこちら👇 [su_button url="https://mexicoct.com/blog/basilicadeguadalupe/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000"]グアダルーペ寺院の建設[/su_button] 全然興味ない方には長々とすみませんでした。(汗笑) 僕も全然カトリック教徒じゃないのに、 5本目のカトリックの話題です。(苦笑) またいつかやるカモしれませんが、(笑) 今回のシリーズは最終回。 多分、 カトリックに興味がない方にも、 話のネタになるという意味では 今回が一番ためになるものだと思います。(笑) 興味が全くなかった僕でも「へぇ~」となりましたから、 ご安心下さい。(笑笑) 聖母グアダルーペの“グアダルーペ”ってなに? なぜマリアではない? これまでの過去4回のシリーズで、 頻繁に「グアダルーペ」 というワードが出てきました。 メキシコ旅行やツアーでも、 「グアダルーペ寺院ツアー」とか、 「褐色の聖母グアダルーペ」と、 よく聞かれますが、 そもそも“グアダルーペ”っていったいだれ?なに? って思われた方も少なからずいらっしゃると思います。 一言でいっちゃえば女性の名前なんですけどね。(笑) 今50代、60代の女性より上の世代では特に一般的な女性の名前です。 日本ですと例えば、 和子さんとか、 清子さんとか、 文子さんというようなお名前です。 この名前、 実は語源がアラブなのです。 「・・・」メキシコのアラブの関係
「何でメキシコがアラブと関係あんのよ?」 って思われた方も多いでしょう。 その歴史はスペイン史に端を発します。 スペインがあるイベリア半島というのは、 711年にアラブ人に侵入され始めます。 日本では奈良時代が始まりました。 その後一部のキリスト教徒は抵抗するも、 多くは“平和に”共存していたようです。 しかぁ~し、 1031年にイスラム勢力が分裂すると、 それに乗じて抵抗するキリスト教徒が増えます。 一時キリスト教側が劣勢になるも、 1212年の決戦でアラブ側に勝利し、 その後アラブ人は衰退していきます。 そんな戦いが1492年まで続き、 スペイン南端のグラナダ地方からアラブ人が撤退したのを機に、 レコンキスタ(国土回復運動)は完成するのです。 日本は応仁の乱の25年後、 室町時代でした。 ヨーロッパでは大航海時代が幕を開けていましたね。 1492年はコロンブスが西への航海(俗に知られているアメリカ大陸“発見”)に出た年です。 てなことで、 スペインは約800年に渡って、 アラブ人(文化)に支配されていた経緯があるんです。メキシコにあるアラブ文化圏の影響
だ・か・ら、 スペイン語にはアラビア語に端を発する言葉が多くあります。 Café コーヒー Limón ライム Naranja オレンジ Ojalá ~だといいなぁ Guadalajara グアダラハラ市 Azúcar 砂糖 Aceite オイル Zanahoria ニンジン Hasta ~まで などなどなどなど、 その数4000以上になるとか。 だ・か・ら、 メキシコのアコルマンやチョルーラなどに現存する、 メキシコにおける初期のヨーロッパの建築物には、 アラブの建築要素が見られます。
グアダルーペの由来
そして、 “グアダルーペ”も多分に漏れず、 アラビア語が由来なのです。 guadaはwadi=川、 lupeはal-luben=小さい、狭い(諸説ある)、 つまり「小さな川」 という意味です。 それで何で小さな川かと言いますと、 これはスペインのエストゥレマドゥラ地方にある 「グアダルーペ川」 から命名されています。



なんでメキシコにグアダルーペなのか
それで、 何でこの歴史と、 大西洋の反対側のメキシコが繋がるのかといいますと、 メシカ(アステカ)帝国を征服したスペイン人大将、 エルナン・コルテスの出身地がエストゥレマドゥラだったから。
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