メキシコの遺跡巡りをよりロマンチックする方法。(笑)
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メキシコ在住17年目のメキシコガイド兼ドライバーが、
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育児期間中につき、
投稿が断続的になっております~。
落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。
どうせ行くならロマンチックなメキシコ旅行にしませんか?(笑)
👆テオティワカンの北から南方面の景色
なんか、
いかがわしい題名ですが
開けて頂いてありがとうございます。(笑)
なんかいまいち、
メキシコでの遺跡巡りが煮え切らないってお感じの方や、
そりゃ神秘的でスゴイてことは見りゃわかるけど、
2か所、3か所行くともう「お腹いっぱい」で、
飽きちゃうという人が殆どではないでしょうか。
ガイドブックにも載っている、
テオティワカンとチチェンイッツァでごちそうさま、
だと思うんです。
とりあえずテオティワカンの太陽と月のピラミッド、
チチェンイッツァのエル・カスティジョを拝んで、
メキシコ来たぁ~っと。
ここで注意したいこと。
大事なことはたくさんっあるんですが、
全部書くと大変なので、
その内一つだけ書こうと思います。
これだけ知っているだけでも、
大分肩の力が抜けるかも?(笑)
僕はメキシコガイドとして、
よくありがちな、
「テオティワカン半日ツアー!」、
「カンクン発チチェンイッツアー!」、
という売り出し方をしていないんです。
👆これって、
言ってみれば「普通」のツアーの売り出し方で、
「ハワイ~泊~日!」
というのと同じです。
世界に無数にある観光地と呼ばれる場所を、
スポット的に行くツアー。
メキシコも同じように、
カンクンツアー
チチェンイッツァツアー
グアナファトツアー
テオティワカンツアー
というように、
有名どころの観光地が、
ツアーリストに並びます。
そういうのを僕はあんまりしないようにしているんですが、
これにはワケがあってですね、
これやっちゃうと、
メキシコの大事な背景がプツプツ切れちゃうんです。
切れちゃうと、
各ピラミッドの前で「行った気」になっちゃうようです。
この「いった気になる、した気になる」というのが、
旅行で一番やっちゃいけないこと。
3つも4つもピラミッド見てもしょーがないって、
満腹感が出て来てしまう。
これだとやっぱり、
メキシコ旅行に奥深さが出てこないんですよねぇ。
せっかくメキシコに行ったのに。
メキシコ旅行の魅力の一つって、
この「奥深さ」にあるんですが、
どうしても「ピラミッド」という表面的なものに終始してしまう、
というところに僕は「ん~」と思っていて、
敢えてそのような形でツアーを売り出していないんです。
まぁ、
確かに、
マス市場的には、
テオティワカン!とか、
チチェンイッツァ!とやったほうが売れる、
というのはありますが、
それだと観光的に伸びないんです。
結局同じツアーがいくつも出て来て、
その狭い世界の中でつばぜり合いが永遠と続き、
疲弊して業者もお客さんも誰も得しないという状態になります。
多くの人達がメキシコの旅の目的にする、
ピラミッドと呼ばれるような巨大建造物って、
その遺跡の歴史の、
ほんの一部の話なんですよね。
そのピラミッドの周りには、
それはもう、
気が遠くなるような深さの背景があるんです。
たぶん、
チチェンイッツァだと、
ガイドさんからAD1000年~と言われて、
AD1000年に突然突貫工事でチチェンイッツァ市が造られ始めた、
と考える人もいるでしょう。
テオティワカンだって、
「BC200年~AD750年」と言われて、
いきなり太陽と月のピラミッドが造られて、
10万とも20万ともいわれる人々が住み始めた、
と勘違いする人も多いと思います。
テオティワカンの素顔=魅力を知るには、
やはりその時代的背景を知るところが大事なんです。
ただデカい町、
ただデカいピラミッド、
じゃなくて、
そうなった理由を知るところにロマンがあるんですよねぇ。
地理的な背景も大事。
「なんでココにこの町が造られたのか」って。
テオティワカンを造った人達。
これも完全に解明はされていないんですが、
最も有力なのは、
今日もケレタロ州を中心に話者がいる「オトミ語」の、
元の元になる言語族にオトパメという言語集団がいました。
オトミって、
日本でも話題になってる?「オトミ刺繍」のオトミ。
(正式にはオトミ刺繍とは言わない)
オトパメ言語族が、
今のメキシコの北部から紀元前2500年以降から徐々に南下を始め、
その一部がテオティワカン一帯に定住し、
集落を形成したんです。
それが紀元前200年よりもっと前の話。
でっかい町ができる前には人の居住が必要ですからね。
ガイドさんから昔のメキシコ盆地一帯の地図を見せられることがあると思いますが、
注意すべきは大体は約500年前のもの。
スペイン人が入ってきた頃のものです。
でも、
テオティワカンの時代ってそれよりも1000年以上前です。
昔々、
アステカで知られるメシカ帝国の首都テノチティトランがあった場所、
今日のメキシコシティ中心部歴史地区一帯なんですが、
その周りにあった湖テスココ湖。
これっていうのは、
テオティワカンの時代には、
今日のテノチティトラン遺跡の方までずっと続いていたんですよねぇ。
人が住むには水源が必要になります。
今日のテオティワカン一帯は干ばつ状態ですが、(苦笑)
豊富な水源の存在が、
都市の繁栄には欠かせないのです。
チチェンイッツァの「チチェン」の意味だって、
「泉の淵」という意味で、
泉というのはセノテ(セノーテ)を意味します。
現にチチェンイッツァに大きなセノテ(セノーテ)、二つありますよね。
「セノテ」という単語の語源、
マヤ語の「Dzonot」というのも覚えておきたい。
そんな風に、
最初はオトパメのちっさな集落から、
その後メキシコシティにあるクィクィルコ遺跡の住民が、
テオティワカンに移住したか、しなかったか、
ここ👆は定かじゃありませんが、
アステカで知られるメシカ帝国の神の一つトラロク神(水の神)の原型ウェウェテオトゥルは、
クィクィルコで生まれました。
これテオティワカンで「トラロク神」となり、
それがテオティワカンの消滅後600年以上後に栄えたメシカ帝国でも受け継がれた、
という関係性。
テオティワカンとメシカ時代の間には、
トゥラがテオティワカンの要素の一部を受け継ぎます。
そのトゥラは、
直線距離で1400キロ離れたユカタンのチチェンイッツァにも、
今日も旅行者の目に見える建造物として影響を残すのです。
こんな風に、
全然観光地的に無名で、
ほぼ放棄されているような「遺跡」と、
その規模により知名度だけが独り歩きしているような
テオティワカンやチチェンイッツァ。
その関係性を見ていくところに、
メソアメリカ史の一つのロマンがあるんです~。
では続きは現地で~(笑)
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