メキシコがひた隠したい10月2日の記憶。今年もこの日が来てました。(1/2)


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ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。

 

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育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

 

華やかさの裏にあるものが本物。

👆トラテロルコ虐殺事件の現場となった広場と奥のチワワ棟

嬉しい僕の10月、悲しいメキシコの10月

10月と言うのは僕にとって特別な月でして、

特にその4日は大事なんです。

はい、

10月4日は僕の誕生日という日でして、(笑)

毎年何かしら特別なコトをして過ごすことが多いんです。

 

今年はついに40代に突入します。(苦笑)

 

また明日詳しく書きたいと思いますが、

なんか40代って、

老いとも若さとも言えない、

宙ぶらりんの歳のようにも思えます。

「若さ」と思えないというのは、

かなり他人の声が反映されてのものだと思っていて、(苦笑)

果たして本当はどうなのかってことを「検証」してみたいです。(笑)

 

若いっちゃ若いし、

老いっちゃ老いと言う人もいるようですし。

僕にとっては全く「若い」んですが。(苦笑)

気持ち的には20代と変わらず。

 

最近は運動が全く出来ていませんが、

たぶん、

威力はそこまでガタ落ちしているとも思わないです。

まあ、

ここ数カ月は子育てで、

今まで使わなかった筋肉が使われているような感覚で、

結構疲れることもあるようですが。

 

この新しい自分の時代を生きている感が何ともいえません。(笑)

この続きは明後日にでも書くとして、

そんなメキシコの10月の苦い記憶。

 

メキシコにはあるとっても暗い記憶、

疑惑が残ったまま闇に葬られたある事件が、

今から54年前の1968年の今日という日に起こりました。

 

ちょうど今70代の中盤の方々が大学生だった頃ですね。

学生運動の時代でした。

 

日本の学生運動と言えば、

東大の安田講堂占拠のイメージが強いですが、

メキシコのそれは、

この10月2日の事件なんです。

 

ご存じかと思いますが、

1968年の学生運動は日本だけではなくて、

パリの五月革命を皮切りに、

ミラノ、

プラハ、

ベルリン、

ニューヨーク、

そして日本と、

世界に飛び火していたのです。

1969年の1月18日には、

安田講堂占拠という出来事が発生します。

 

メキシコは1968年の10月2日。

 

記憶にある方も少なくないでしょう。

68年と言えばオリンピックイヤー。

64年は東京五輪でした。

68年はメキシコ五輪の年。

10日後の10月12日に、

メキシコ五輪の開催を控えていた時期でした。

 

メキシコ五輪と言えば、

マラソンの君原健司さんが銀メダルを取りました。

あとはサッカー日本代表が銅メダルを獲得した大会。

釜本さんの活躍で知られていますよね。

開催されたメキシコシティは、

標高が2200を超える超高地でして、

そんなアウェーな条件下で活躍した日本の選手。

 

しかし、

その日本の選手たちの活躍の裏には、

知られざる「悲劇」が起こっていた、

というのが今回の話です。

 

メキシコでは通称Masacre de Tlatelolco(トラテロルコの虐殺)として知られているのですが、

その通り「虐殺」が起こった事件。

 

トラテロルコってこんなところ

メキシコにいらしたことがある方でも、

トラテロルコと聞いて、

パッと思い浮かぶ人は少ないと思います。

👇ココです。

 

メキシコシティにある一つの地区です。

アステカでしられるメシカ帝国の首都、

テノチティトラン(現メキシコシティ中心部ソカロ一帯)の姉妹都市だったトラテロルコ。

ご存じの方も多いテンプロマジョール(テンプロマヨール)よりも高い「ピラミッド」が、

このトラテロルコにあったと考えられています。

 

今は遺跡となっており、

そのピラミッドは原型をとどめていませんが、

その跡👇は見ることができます。

石造りの遺跡と奥に教会がみえる

手前に遺跡が広がり背後に教会、その背後に近代的な団地が建つ

この地区は元々こんな風👇に小さな島があり、

一つにテノチティトラン(現メキシコシティ中心部ソカロ一帯)、

もう一つにトラテロルコが建設されます。

トラテロルコという名称は元来ハルテロルコ(Xaltelolco)で、

メキシコ固有の言語ナワトル語で「砂の丘」を意味します。

👆の青い矢印がトラテロルコ、

その右の大きめの島にテノチティトラン(現ソカロ一帯)が築かれます。

 

メシカ(アステカ)最後の皇帝クアウテモックの居住地で、

3 Calli(3の家)の年1521年の8月13日にスペイン人によって、

トラテロルコ島の東で拘束されたという、

歴史的背景がある場所。

👇捕らえられたクアウテモックに尋問するコルテス(MUNAL)

 

日本のガイドブックには三文化広場と紹介されていて、

文字通り3つの文化(メシカ時代・植民地時代・現代)の町が一ヵ所に纏まっている場所、

という意味なんですが、

ココに広場👇があります。

ココ👆がその68年の大虐殺事件の現場。奥の団地がチワワ棟。

 

1968年10月2日の政府主導の虐殺事件

54年前の今日、

午後6時頃にヘリコプターからの照明弾を合図に、

団地のチワワ棟から、

狙撃手が広場に集まる学生の集団に向け無差別発砲(乱射)を始めます。

乱射は広場にとどまらず、

団地に逃げ込んだ学生やその家族にも及びました。

 

「白い手袋」と言う意味のGuante blanco。

「取り締まり」という名目で非合法的に団地に押し入り、

学生の逮捕や殺害を行った「捜査員」が味方を区別するために、

左手に着用していた「白い手袋」。

👇“捜査員”の左手に白い手袋

👇軍による学生への暴力行為と不当な逮捕

もっと写真を見たい方は👇(閲覧注意)

Los muertos de Tlatelolco, ¿cuántos fueron? | Aristegui Noticias

または👇

masacre de tlatelolco – Google Search

 

公表される死者数の裏のヤバいこと

もちろん、

その虐殺行為自体が酷いんですが、

更には正確な死者数・行方不明者数というが「わからない」んです。

一応「死者325人」というのが出ていますが、

1000人を超えるという情報もあったり。

 

死者数もさることながら、

ヤバいと思うのが「不明」という状態。

津波や土石流で流されて・・・という場合に「行方不明者」と呼ばれる数字が公表されますが、

市街地で起こった事件で正確に何人なのか分からないって、

どこかに連れてかれたのか。

 

アカプルコがあるゲレロ州イグアラ市で発生したAyotzinapaで発生した、

43人の学生失踪事件だって、

結局どこに行ってしまったのか分からず、

未だに政府も歯切れが悪い対応しかしていません。

 

今年メキシコでは行方不明者が10万人を超えたんですが、

その一方で、

実は日本も8万人ぐらい行方不明者がいるんですね。

👆これじゃ「日本は危ない」になるような。(沈)

 

ご興味ある方、

この事件を題材にした映画があるのでご覧ください~

スペイン語なので、

右下の歯車の中のキャプション(訳)を日本語に設定してみて下さい。

訳は自体はヒドイものですが、(苦笑)

概要だけご理解頂ければ幸いです。

 

続きは次回に~👇

後編

 

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