マヤ文化ってなに?
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。
今日もメキシコから書いています~
マヤ文化。
☝☝☝エツナ
学校の世界史の授業でも少し教わりましたね。
“マヤ”と聞いた事があっても、
おそらく、
「???」
という方も多いと思います。(笑)
マヤ文化とは何のか、
ちょっと長くなってしまいますが、
また今後何回かに分けて
ザックリと書いてみようと思います。
そもそも、
そのマヤ文化はどこにあったのかというと、
メソアメリカ、
つまり今日メキシコがある南東の地域と、
グアテマラ、
ベリーズ、
ホンジュラス、
エルサルバドル
の中米諸国にまたがっています。
SNSを眺めていると
ビーチに続いて、
よく目にするのがチチェンイッツァ遺跡。
皆さん“ピラミッド”の前で
お写真を撮るのが恒例となっているようですね~。
とりあえず、
超有名観光地チチェンイッツァがどうとか
難しい話は脇に置いておきまして、
視点をズームアウト(ずーっと上にもっていく)してみます。
グーグルマップがお手元にある方なら、
とりあえず、
有名どころのチチェンイッツァを探して頂き、
その後メキシコ全体が入る所までズームアウトして下さい。
そうすると、
メキシコのどこにチチェンイッツァがあるか
分かりますね。
チチェンイッツァがある所が、
北にニョキっと半島なっていますが、
そこをユカタン半島と言います。
そこからずーっと太平洋岸まで真南に広がる一帯が
マヤ文化圏です。
実際はホンジュラスの方まで続くのですが、
大体は“そのあたり”
ということです。
ご覧のとおり、
その範囲は広大なものです。
どれぐらい広大かと言いうと、
35万㎢。
!???・・・ (笑)
日本の国土が37万7千㎢、
つまり、
日本とほぼ同じ面積がマヤ圏なのです。(おぉ~!)
メキシコの国土の約17.5%です。
次に、
チチェンイッツァや、
パレンケ、
カラクムル
マヤパンなどの“巨大遺跡”というのは、
長ぁ~いマヤ文化の歴史の中にあった、
各地域の“首都”だったんです。
各地域というのが県で、
それらの都市というのは県庁のようなもの、
と言った方が分かりやすいかもしれません。
有名なテオティワカン文化や
メシカ(アステカ)文化は
その文化の首都が単一の場所に何百年という時間存在しました。
例えばテオティワカンは、
紀元前200年ぐらいから街の建設が始まり、
700年頃まで同一の場所で、
強大な影響力を持った都市として機能していました。
その間ざっと900年。
日本でいうなら義朝や清盛の平安時代から今日まで続いていたということです。(驚!)
メシカは現在のメキシコシティの中心部、
テノチティトランに“首都”を建設し、
そこから200年弱の間に
地方の部族を支配下に置き影響力を拡大しました。
他の地域に別のメシカの首都があったわけではありません。
一方マヤはといいますと、
大きな影響力を持った都市が、
同じ文化の中に、
一部は同じ時代に存在していたのです。
その例が、
ティカルであり、
カラクムルであり、
パレンケ、
そしてトニナなどです。
☝☝☝パレンケ
☝☝☝カラクムル
上記の都市が存在した時代を
マヤ前期と言います。
それらの都市は、
先ほどグーグルマップで見て頂いた、
南北に延びる縦長のマヤ圏の南半分に位置します。
☝☝☝黒点がマヤ後期、白・黒点が前期
前期があるなら後期もあります。
上半分です。
主なところですと、
チチェンイッツァ、
ウシュマル、
マヤパン、
エツナ
などです。
☝☝☝ウシュマル
マヤ文化の特徴として、
比較的短命の“首都”が寄せ集まって、
有名なマヤ文化を約2000年に渡って形成したのです。
ちなみに
あの有名なチチェンイッツァは、
AD900~1200ぐらいまで繁栄した、
マヤ文化の中で最も“新しい”都市の一つです。
その前には、
それはもう気が遠くなるようなマヤの長く複雑な歴史が既にあったのですね。
先日ニュースになりました世紀の大発見。
これまでのマヤの歴史が数百年延びるであろう、
都市の跡がタバスコで発見されました。
推定紀元前800年から1000年頃に建設されたと考えられています。
そうするとマヤ文化はトータルで2500年ぐらい、
上述の比較的短命の都市が引き継ぎながら存在していたということです。
いかがでしょう。
今日は地理的部分と、
マヤ文化圏の都市の特徴をザックリ書いてみました。
今日はこの辺にしときます~(笑)
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