メソアメリカ最大の建造物があるチョルーラとは・後編
メキシコ旅行やメキシコ生活、海外旅行について、
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現地在住の視点で書きながらも、
ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。
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春休み旅行、ゴールデンウィーク、夏休み、そして年末年始、
2023年の海外旅行は「未知の国メキシコ」への旅行はいかがでしょう。
チョルーラという“大都市”の始まりは、
紀元前700年ごろと考えられています。
もちろん最初から
「巨大ピラミッドをつくるぞぉ!」
と始めたわけではなく、(笑)
最初は小さな集落だったんです。
その住人は聞きなれないニュィニェ、
だと考えられています。
ミステカ語属の一部の言語です。
現在もテワカン(Tehuacan)一帯で話者がいます。
大きめの宗教的建造物が造られ始め、
都市を形成したのは紀元を跨いだ頃からです。
200年~900年通称クラシコ期の前半が
チョルーラ文化の全盛期であったと考えられています。
その理由は・・・
キオテ購読者の方でしたらピンと来た方もいらっしゃるはず、
そう、
テオティワカンの全盛期と重なるのです。
僕でしたら、
オアハカやベラクルス方面に行かれる際に「寄り道」としていくことも出来ます。
☝東方面。奥にメキシコ第6峰マリンチェ山4400mがうっすらと見えます。
チョルーラでのワンストップ、
僕でしたら追加料金掛かりません~(笑)
ぜひぜひご検討してみて下さい~
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☝「お~デッカイピラミッド!」ですがこれは当時のものではありません。 オリジナルは奥の方に顔をのぞかせています。
チョル―ラの小さなはじまり
前編まだの方はこちらをどうぞ👇 https://mexicoct.com/blog/cholula-1/
テオティワカンとチョルーラの関係
テオティワカンは、 周辺及び地方の都市を支配下に置いて、 当時の人口規模で、 コンスタンティノープル、 アレクサンドリア、 ロンドンなどの大都市に次ぎ、 世界3~6番目の規模を誇っていた巨大文化だったと考えられています。 しかもチョルーラからも近く(直線距離で90キロ強)、 普通であれば敵対、 ないしはその支配下に置かれて普通の状況ですが、 チョルーラは敵対することもなく、 「独立」を保ち続けたのでした。 チョルーラの街は12.5㎢にも広がり、 数万人の人口があったと考えられます。 テオティワカンが20㎢、 その後メソアメリカ最大であったトゥラが17㎢ですので、 それらに匹敵する規模だったようです。 そのチョルーラは、 テオティワカンの衰退後800年頃まで存続したのですが、 その後放棄されてしまいます。 その後約300年の間の一時期、 メキシコ湾側のオルメカ系の住民が居住するものの、 かつてのような繁栄には至りません。トゥラの崩壊とチョルーラ
1150年ごろに、 当時メソアメリカで最強であったトゥラが崩壊します。 トゥラの街には焼かれた形跡があります。 その住民が各地に逃れ散らばるのですが、 今度はその一部がチョルーラに住み着きます。 だ・か・ら、 Chollolan(チョロラン)⇒Cholula。 その意味は「逃避の場所」なんですね。 ここからチョルーラの第2期が始まるのですが、 1400年以降メシカ帝国の支配下に入り、 1519年にスペイン人を“迎える”のです。 それまで商業、宗教的な場所として機能します。楽しみどころ満載のチョルーラ周辺
そんな、アルティプラノ・セントラル圏で 主要な大都市だったチョルーラ。 チョルーラの街には市場があり、 僕はそこでプエブラ名物をお客さんにおススメします。 近くにも僕がおススメする食事処もあり、 エクスプレスでも時間を掛けても楽しめるチョルーラ。 ☟地元の市場

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