メキシコに旅行に行くなら知っておきたいメキシコの大事な話と独立記念日。(3/3)


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ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。

 

成田から直行便でたったの12時間、

2022年の夏休み、年末年始の海外旅行、メキシコ観光は弊社におまかせを。

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育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

アフリカ系メキシコ人の功績なくして今日のメキシコは無かったかもね。

👆メキシコ第2代大統領ヴィセンテ・ゲレロ(出典:Relatos e Historia de Mexico)

 

前回、前々回の続きです~👇

アフリカ系の人々・1/3

 

アフリカ系の人々・2/3

 

メキシコ各地で「奴隷」として酷い扱いを受けるアフリカ系の人々がいる一方で、

初期に連れてこられたアフリカ系の人々、

フアン・ガリドも含め?

メキシコへの入植に貢献したとのことで、

アシエンダという、

いわば農地が与えられていたようです。

 

👆本当なら何という格差か。

 

ただ通常は黒人、

或いは黒人の子孫というだけで、

彼らはスペイン人社会から排斥されました。

黒人の血が半分交じっているとムラト(Mulato)、

1/4でクアルテロネス、

1/5でキンテロネス、

というように呼び名が変わり、

Blanqueamento(ブランケアメント)という白人化政策により、

スペイン系の「血統」を保証するための書類まであったんです。

 

当然、

政治などの社会への参加や教育へのアクセスは限られ、

今日も彼らの非識字率は国全体の5.5%を大きく上回り、

15%にまでのぼります。

首都メキシコシティの発展からは想像すらつきませんが、

未だに文字が読めない人口が、

アフリカ系の人々だけでも40万人弱もいる計算です。

 

ちょっと時代は前後しちゃいますが、

それでも、

メキシコには「アフリカ系の大統領」が在位したことがあります。

第2代メキシコ大統領ヴィセンテ・ゲレロ、(冒頭の絵)

本名Vicente Ramón Guerrero Saldaña(ヴィセンテ・ラモン・ゲレロ・サルダニャ)さん。

 

この方もゲレロ州出身で、

メキシコ独立戦争時、

特に英雄の一人ホセ・マリア・モレロスさんの死後からリーダー的な存在として、

1821年の「完全独立」に大きく貢献した人物です。

👇ウチの近くに馬に乗った銅像があります。

 

1819年、

当時の植民地総督から降伏の条件と引き換えに「恩赦」を打診されますが、

丁重に「お断り」し、

「自国の独立が優先」を貫いたことでメキシコ独立の英雄とされています。

 

独立後の政権を支え、

彼は1829年に第2代メキシコ大統領に就任するものの、

次期大統領ブスタマンテ率いる反対勢力に騙され、

アカプルコに浮かぶ船上での食事におびき出されます。

そのまま縛られて、

オアハカはウァトゥルコへ連れて行かれ、

下船後はそのままオアハカ市近郊へ。

オアハカにお詳しい方なら当然ご存じであろう、

クィラパン(Cuilapam)の修道院に投獄され、フ

1831年2月14日に銃殺されてしまったという、

悲運のアフリカ系メキシコ大統領。

在任期間はたったの8ヵ月でした。

👇その現場

 

ミゲル・イダルゴさんが、

独立に向けた第1歩を踏み出した英雄であれば、

ヴィセンテ・ゲレロさんは、

11年に渡った独立運動の締めに向けての第一歩を踏み出した英雄と言えるでしょう。

👇ミゲル・イダルゴ司教

 

メキシコは来週に独立記念日があります。

今日、

「メキシコ」という独立した国家になるまでに、

それはそれは、

血なまぐさい内戦が

11年にも渡って続いていたのでした。

今から200年ぐらい前の話。

日本はまだ開国前の時代です。

 

今でこそ、

グアナファトやサンミゲル・デ・アジェンデという町は、

世界中の旅行者に人気の観光地になっていますが・・・

本来の「場所」としての価値って、

綺麗な景観の前に、

歴史的なところにあるんですよねぇ。

 

それらの場所で、

日本の開国前、

今から200年前に起こった出来事、

「独立」というものですが、

これなくして、

今日皆さんが観光で来られる場所になっていなかったかもしれない!?(笑)

歴史的大転換が起こった大事件であり、

その現場がドローレス・イダルゴ、

グアナファトや

サン・ミゲル・デ・アジェンデ、

モレリアや今回のオアハカの修道院だったりします。

もっとありますが・・・

 

そしてその大事件に関わった人物が、

メキシコのお札に描かれているミゲル・イダルゴさんから始まり、

サン・ミゲル・デ・アジェンデ出身のイグナシオ・アジェンデと

モレリア出身のホセ・マリア・モレロス、

グアダルーペ・ヴィクトリア、

そして今回のアフリカにルーツを持つヴィセンテ・ゲレロ。

 

ちょうどメキシコの「独立記念日」と、

「アフリカ系」というキーワードが、

ヴィセンテ・ゲレロさんで繋がったのでご紹介してみました~。

 

今でこそ、

人々が飛行機に乗って、

12時間かそこらで地球の裏側のメキシコに行くことができますが、(笑)

海外渡航が一般化し始めたのって・・・

1970年代後半ぐらいですよね?

日本、欧州で固定相場制から変動相場制に移行したのを皮切りに、

中間層にも海外旅行に手が届くようになりました。

 

でも今日、

メキシコにメキシコ人として生活している、

アフリカ系メキシコ人の方たち、

彼らのご先祖さんたちは、

故郷から遠く離れたメキシコの地まで船で連れてこられ、

その後も大変な時間を過ごしたわけです。

 

興味があって、

そういったコミュニティーがあるジャンガなどに行かない限り、

一メキシコへの旅行者は、

そういったバックグランドを持つ「アフリカ系」の人々に出会うことは無いかもしれません。

でもですね、

そういう人達が今でも「いる」ということだけ知っておくだけでも、

頭の中でイメージできるじゃないですか。

👆これが大事なんです。

 

彼らのご先祖さんの出身地アフリカから、

「奴隷」として連れ出され、

大西洋を渡り、

ベラクルスからメキシコに上陸し、

オアハカやゲレロの山中に連れて行かれ、

500年近い年月が流れた今、

彼らの子孫が同じ地域で暮らしている、

というこの時間軸。

そう考えただけでも、

実際に会うことが出来なくても、

このメキシコの地で、

彼らの境遇の一端を感じることができるでしょう。

 

彼らの境遇のあまりの複雑さに、

ちょっと纏まりませんが、

メキシコ旅行でそういった点にもご興味をお持ち頂ければと思った次第です~

 

ではまた~

 

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