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一つの文明の時代が終わった
メキシコの歴史を語るうえで避けて通れない大事件があります。
それが
「テノチティトラン陥落」
結論から言うと、この出来事によって
少なくとも紀元前3000年頃から続いていた
「メソアメリカ文明」
という歴史区分の時代が終わりました。
つまりこれは、
一つの文明が終わった
という、とてつもない歴史的大事件だったのです。
約4500年続いたメソアメリカ文明の終焉
先ほど「紀元前3000年」と書きましたが、これはかなり大まかな表現です。
合計すると約4500年ほど、
現在のメキシコを中心とした地域には
メソアメリカ文明
と呼ばれる文化圏が存在していました。
オルメカ文化、マヤ文化、サポテカ、ミクステカ、ウァステカ、トトナカ、プレペチャ、そしてメシカ(アステカ)文化などが連なり、
高度な都市、天文学、宗教、建築を発展させてきた文明、世界5大文明の一角です。
そしてその文明の終焉が起こったのが西暦だと
1521年8月13日
でした。
この出来事は、世界史的に見ても
世界五大文明の一つの終わり
といえるほどのインパクトを持っています。
この衝撃の大きさ、想像できるでしょうか。
アメリカ大陸で「純血」が終わり「混血」が始まった
ちなみに「メソアメリカ」という言葉は、
1900年代初頭に考古学者たちによって名付けられたものです。
当時の人々が自分たちを「メソアメリカ」と呼んでいたわけではありません。
考古学という学問の中で、
ある時代からある時代までを
「メソアメリカ文明」
と呼ぶと定義された区分なのです。
もちろん紀元前3000年より前にもメキシコのご先祖様たちは生活していました。
ただしその段階では、
高度な都市文明ではなく
狩猟採集社会(ノマド)
が中心でした。
分かりやすく言うならば、
ヨーロッパ人との接触以前のアメリカ大陸は
ほぼ完全に先住民社会でした。
失礼、「先住民」という言い方は僕は失礼だと思っているので、マヤ族やアステカ族などと呼ばれる多くの部族が住んでいました。
もし仮に
ヨーロッパ人との混血
をアメリカ大陸における最初の「混血」と定義するならば、
それ以前は「純血の時代」とも言えます。
つまり、
アメリカ大陸における純血の時代の終わり
もまた、この8月の出来事だったということです。
アメリカ大陸最初のメスティソ
ちなみに、
「アメリカ大陸最初の混血(メスティソ)」の話を始めると
またかなり長くなってしまいます。
ですのでここでは簡単に触れるだけにしますが、
歴史上よく知られている最初の例は
スペイン人ゴンサロ・ゲレロ
の家族とされています。

スペイン人でありながらマヤ社会に溶け込み、
マヤ女性と家庭を築いた人物です。
その子どもたちは
歴史上最初のメスティソ
と呼ばれることがあります。
ちなみにこの出来事は
アステカではなく
マヤ地域
で起こりました。
テノチティトランの陥落(1521年8月13日)
そんな歴史の転換点となった出来事が起きたのは、
1521年8月13日
です。
メシカ(アステカ)の暦でいうと
3 Casa(3の家)
の日でした。
2021年8月13日は、
この出来事から
ちょうど500年
という節目の年でした。
そのため、
メキシコシティの歴史的現場では
メキシコ政府による記念行事も行われました。
コロナ禍の中での開催だったこともあり、
SNSでは
「メシカの生贄儀式みたいだ」
といった皮肉のコメントも見られましたが
それでも、
8月13日という日が多くの人の関心を集めた
のは確かです。
なぜテノチティトラン陥落まで「2年」かかったのか
スペイン人によるアメリカ大陸征服は、
通常
1519年〜1521年
という約2年間の出来事として語られます。
ここで疑問が浮かびます。
なぜ2年もかかったのか?
ということです。
なぜ1519年に、
一気にテノチティトランを攻め落とさなかったのでしょうか。
極端に言えば、
日本史でいう「焼き討ち」のように
短期間で決着をつけることもできたのでは?
と思う人もいるかもしれません。
当時、メシカ帝国に対する反感は
ベラクルスやトラスカラなどの地方で高まっていました。
注:メシカというのは通称アステカのこと
つまり、
本気で兵を集めれば
かなりの数の軍勢を集めることも可能だったはずです。
メシカ皇帝は「暦」を待っていた?
これは一つの説ですが、
学校の先生から聞いた興味深い話があります。
それは
この「2年」という期間はメシカ暦と関係しているのではないか
というものです。
テノチティトランには
当然ながら
都市が誕生した年
があります。
その年は
1325年
とされています。
そしてこの年は、
メシカ暦では
2 Casa(2の家)
でした。
つまり
始まり:2 Casa
終わり:3 Casa
という形になるのです。
メシカ暦の「52年サイクル」
メシカの暦は、
現在の西暦とは大きく異なります。
年は
1〜13の数字
と
4つの象徴
の組み合わせで表されていました。
その4つとは
- 家
- ウサギ
- 葦
- ナイフ
です。
この4つの組み合わせは13x20の歴(トナルポウァリ)の中の「家」の列なんですが、
他の列もあるものの、最も多く使われているのがこの4つです。
歴はややこしいのでまた次回にでも。
例えばこんな感じです。
1の家年
2のウサギ年
3のイグサ年
4のナイフ年
5の家年
6のウサギ年
7のイグサ年
8のナイフ年
……
13の家年
1のウサギ年
この組み合わせは
13 × 4 = 52年
で一巡します。
当時の人々は
この52年の周期
を非常に重要視していました。
なぜならば52年ごとに
新しい太陽が生まれる
と考えられていたからです。
この52年周期の考え方を難しい名称でシウネルピリ(xiuhnelpilli)といいます。
なぜ1521年だったのか
「家」の前後には
ナイフと葦
が来ます。
メシカの最後の皇帝たちは、
都市の始まりが
「家」
ならば
終わりもまた
「家」
であるべきだと考えた可能性があります。
そのため
1519年(1葦)でもなく
1520年(2ウサギ)でもなく
1521年の「家」の年
まで待ったのではないか、
という説です。
「悲しき夜」の謎
実際、
1520年6月30日
には有名な出来事があります。
「悲しき夜(ラ・ノチェ・トリステ)」
です。
正確には
歓喜の夜
といいます。
この戦いでスペイン軍は
メシカの猛攻を受け
壊滅的な打撃を受け命からがら地方へ逃げます。
しかし、
メシカ軍は
逃げるスペイン軍を徹底的に追撃しませんでした。
なぜか。
その理由の一つとして、
暦のサイクルを待っていたのではないか
とも言われています。
続きは最終回で↓
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