スペインはメキシコに多くの恩恵をもたらしたけど、多くのものも奪いました。(2/2)


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世にある旅行や海外生活について、

ほぼ毎日行き当たりばったりに、

メキシコ現地から好き勝手に書いている、

ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】です。

 

成田から直行便でたったの12時間、

2022年の夏休み、年末年始の海外旅行、メキシコ観光は弊社におまかせを。

メキシコ在住17年目のメキシコガイド兼ドライバーが、

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育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

今日のメキシコになるまでにメキシコが辿った道、複雑すぎます。

風邪にたなびくメキシコの国旗

👆この国旗が意味するもの、奥が深すぎます。

 

前回の続きです~👇

前編

 

メソアメリカ時代というのは、

皆さんもご存じのアステカで知られるメシカや、

あとはマヤなどの、

多種多様な「文化」が、

今日メキシコという国がある一帯で、

栄枯盛衰していた時代のこと。

ザックリと3000年以上そういう文明社会が形成されていたのですが、

そこに「ある日突然」、

スペイン人という、

土着の人々にとって、

全くの異質な文化を持つ人間がなだれ込んで来たんです。

その「ある日」という日の日付は1519年4月22日という日。

👇ベラクルスへの上陸時の様子

この日を境に、

メソアメリカ文明圏の運命は

900度ぐらい変わってしまうんです。

 

極端に言えば、

1519年4月22日という日が無ければ、

もしかしたら「スペインからの独立」というイベント自体起こらなかったわけです。

ずぅっと土着の文化の独立を保ち、

もしかしたら、

ある意味日本のような、

ガイジンによる「入植」を経験していない、

今とは全く異質な国家が出来ていたかもしれませんね。

 

もちろん言語もスペイン語ではなく、

ナワトル語やマヤ語が広く使われ、

肌が白くて、

金髪で、

背が高い「メキシコ人」が生まれるのに、

あと400年ぐらい掛かったのかもしれません。

 

それだけ、

1519年に始まった「スペイン」による占領は、

インパクトがデカい事件だったんです。

 

そのスペイン人によって、

新たな「血」、

食べ物、

宗教や思想、

建築などの芸術、

言語、

政治、

などなどなど、

ありとあらゆるヨーロッパ文化が、

このアメリカ大陸、

今日メキシコがある地域に持ち込まれました。

 

これによりシンクレティズム、

文化の「融合」という化学反応が起こります。

どちらか一方に偏ることはなく、

「融合」を繰り返し、

「今日のメキシコ」という、

「新たな国」、

「新たな文化」が生まれたわけです。

👇陶器

メキシコのプエブラ市でタラベラ焼きが店内にならぶ

👇音楽

👇信仰

👇習慣

👇料理

👇建築

 

そう聞くと、

一見聞こえが良く聞こえるかもしれませんが、

スペイン人がしたことって、

それまで山あり谷ありの凸凹を、

ブルドーザーで凹凸を削り取って、

さらにその上からロードローラーで真っ平にしたってことです。

👇多くの犠牲が払われたことを忘れてはなりません。

もちろん、

完全にはできず、

その結果として、

今日のメキシコに見られる多種多様な民族であったり、

彼らの伝統や食、

音楽、

遺跡、

というものになって、

外国人旅行者を魅了し続けているわけです。

 

その一方で、

公用語であるスペイン語、

国民の8割以上が信じるカトリック教という宗教、

というものに見られるように、

「真っ平」にされたものもあります。

言語に関しては、

かつて、

確認されているだけで124以上もの言語があったわけですが、

スペイン語というロードローラーに押しつぶされた後、

今日では50語程しか日常的に使われていません。

そしてもう100年もすれば、

それらの大部分は消滅してしまうでしょう。

そして失われたそれらは、

もう二度と元に戻ることはないのです。

👇メキシコ国内に現存する各文化の言語で書かれた挨拶

メキシコの観光ガイド岩﨑功がいろいろな言語が書かれたボードの前で挨拶をしている

 

スペイン人による植民地化というローラー作戦が、

1521年からちょうど300年に渡って続くわけです。

その間、

血も生まれ故郷もスペインというスペイン人と、

それ以外の人間との格差や不公平さが顕著になりはじめ、

独立機運の高まりへと繋がるわけです。

 

そんな不満がバチーンと弾けたのが「独立戦争」で、

そのきっかけをつくった主要人物が、

ミゲル・イダルゴ司祭や、

イグナシオ・アジェンデ、

彼らの死後引き継いだのがホセ・マリア・モレロス、

モレロスの死後に独立戦争の終結に貢献したのが、

ヴィセンテ・ゲレロやグアダルーペ・ビクトリア、

そして実際に、

スペイン側とコルドバ条約を締結し、

「正式に独立」を果たしたのがアグスティン・デ・イトゥルビデ、

というように、

11年間の「独立戦争」の間、

それらの歴史に名を残した人物にリーダーシップがバトンタッチされていきます。

👇ミゲル・イダルゴ

👇イグナシオ・アジェンデ

👇ホセ・マリア・モレロス

👇グアダルーペ・ヴィクトリア

👇ヴィセンテ・ゲレロ

👇アグスティン・デ・イトゥルビデ

お隣アメリカの独立戦争は、

1775年~1785年の8年を要しています。

メキシコの独立戦争はさらに3年掛かりました。

もっとも、

スペインは世界各地で独立戦争を仕掛けられた国の一つでもあるんですが、

長いものだと「80年戦争」と呼ばれる、

1568年にオランダ地方が仕掛けた独立戦争や、

ラテンアメリカだとボリビア独立戦争で16年掛かっています。

 

日本にだって、

メキシコにも関係する榎本武揚氏によって、

蝦夷(北海道)の独立の“危機”があったことは知られていますよね。

未遂に終わりましたが。

 

同じ場所であっても、

主権が他国から新たな国に移る時って、

血なまぐさい混乱がつきもの。

 

メキシコはこの独立により、

メキシコ史は第3フェーズへと移っていきます。

主権を獲得し、

はれて「メキシコ」として独立した国に待ち構えるものとは・・・

 

また別の機会に書きます~

 

ではまた。

 

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