フリダ・カロってどんな人?・後編(2/2)

メキシコ,観光,旅行,ガイド

メキシコ在住16年目、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

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いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供しています、

公認日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

フリダ・カロってどんな人?・後編

 

前編の続きです。

フリダ・カロってどんな人・前編

 

フリダ・カロが18歳の時、

大事故に見舞われていまったとのことでした。

 

そしてその事故は彼女の人生を大きく変える事になるのです。

 

1925年9月17日。

 

日本は大正時代。

関東大震災の2年後、

大正天皇崩御の前年という時代でしたね。

 

その日彼女と彼女の恋人アレハンドロが乗ったバスが、

ソチミルコ方面から来た路面電車と衝突。

 

この衝突により手すりの一部が彼女の骨盤近くを貫通する重傷を負います。

 

約一年もの療養を経たのち、

1926年から彼女は画を描き始めます。

19歳の時でした。

 

これが彼女の処女作の自画像。

これを一緒にバスに乗っていた恋人のアレハンドロ・アリカスさんに贈ります。

 

その後彼とは別れてしまうのですが、

1928年頃から本格的に画を描くようになります。

例えばこのような作品☟

彼女のファンの方でしたらご存知の方も多いでしょう。

 

Retrato de Cristina, mi hermana 1928

El camión 1929

Niña 1929

 

事故から4年後、

出会いから9年、

1929年に壁画の巨匠ディエゴ・リベラと結婚します。

 

が、

ディエゴは女癖が酷かったのです。(苦笑)

 

フリダは彼の愚行によっても苦しむことになります。

 

結婚した2人はアメリカ各地を訪問し、

1931年にメキシコに戻ります。

 

このころディエゴ・リベラはパラスィオ・ナスィオナル(国立宮殿)の壁画制作をしていました。

☟コレ

ディエゴリベラが描いた国立宮殿の壁画がある

 

これと同時期に、

2人はサンアンヘルというメキシコシティの南西に位置するエリアに、

住居兼アトリエを建設します。

二つの建物が橋で繋がれているのが特徴的です。

メキシコシティの青い家と白い建物

今では高級レストランやスパなど、

オシャレなお店もあるエリアです。

 

2人の住居とアトリエの建設、

順風満帆に見えた二人の結婚生活ですが、

この頃ディエゴはフリダの妹クリスティーナと関係を持ってしまいます。

 

フリダは妹を許し、

ディエゴとも関係を維持しますが、

心の糸がぷつんと切れてしまったのでしょう。

 

2人は婚姻関係にありつつも、

“オープンな関係”を保ち、

フリダは数人の男性と関係をもちます。

 

その中にこの写真☟を撮ったニコラス・ムライさんも。

あとは日本人の血をひくイサム・ノグチさん、

メキシコの有名俳優・歌手のチャベラ・ヴァルガスさんも。

 

そんな折、

1937年にはレーニンの死後ロシアで失脚したレオン・トロツキーが

メキシコを新しい居住地に定め、

共産党に加入していたフリダがトロツキーを自宅「青い家」に約2年に渡って住まわせます。

この間にフリダはトロツキーとささやかな恋愛関係になったとか。

 

そんな俄かには信じがたい“オープンな関係”を1939年まで続けますが、(苦笑)

その年ディエゴとは離婚してしまいます。

 

てかそれ以前にしとけばよかったのだと思いますが。(苦笑)

いろいろあったのでしょうね・・・

 

その後2年ぐらいは落ち込み、

39年にはこんな絵☟を描いて「心の痛み」を表現しています。

題名は「二人のフリダ」

 

そんな折、

メキシコにトロツキーへの刺客が送り込まれます。

1940年5月24日に最初の暗殺未遂が起り、

親しかったディエゴが疑われ、

彼はメキシコを逃れサンフランシスコに身を潜めるのです。

 

その僅か3か月後に、

トロツキーは秘書の恋人を装ったラモンにピッケルで頭部を刺され暗殺されます。

☟その現場はここ。今は博物館になっています。

 

今度は“仲が良かった”フリダが疑われ逮捕されてしまいます。

釈放後、

ディエゴがいるサンフランシスコへと逃れます。

 

その年の年末、

12月8日にフリダとディエゴは「再婚」して“しまいます”。(苦笑)

 

サンフランシスコで2度目の挙式を挙げ、

フリダはメキシコに戻ります。

33歳の時でした。

 

時は流れ1953年、

幼少の事から不自由だった右足を切断、

翌年1954年に47歳の若さで気管支炎によりこの世を去ったのです。

 

葬儀はベジャスアルテス(国立劇場)で行われ、

500人以上が参列、

遺灰は彼女の自宅「青い家」に保管されています。

 

ここまでフリダ・カロさんの生涯の簡単な説明ですが、

この話には続きがあるんです。

 

番外編でどうぞ~

 

【キオテQ&A】

東京都・宗田幸子さん

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