メキシコのドイツ系民族の文化。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ旅行の政府公認ツアーガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

 

メキシコにはドイツ語を話す民族も暮らしています。

以前、

メキシコの多文化社会を形成する民族の一つとして、

アフリカ系の人々について少し書きました。

 

実はメキシコにはドイツ-オランダ系の人々もいます。

でもなぜメキシコに?

彼らのルーツは?

 

メキシコにいらしたことがある方でしたら、

道で繋ぎ姿でチーズ売って歩く人たちを、

目にされたことがあるかもしれません。

メキシコでは、

彼らをメノニタス(Menonitas)と呼んでいます。

 

何でメキシコにドイツ-オランダ系の人々がいるのか、

彼らのルーツを少しお話しします。

 

メキシコとドイツ/オランダ。

二つの地域または3国の歴史上の接点は・・・

と学校で教えてもらったメキシコ史の知識をひっくり返しても思い浮かびません。

メキシコ史に登場するヨーロッパの国と言えば、

もっぱらスペインとフランスです。

 

話はマルティン・ルターまだ遡ります。

16世紀前半に、

ローマカトリック教会の在り方(特に贖宥状)に疑問を呈し、

「95カ条の論題」を発表し、

プロテスタントの源流をつくった動き、

宗教改革の立役者です。

 

1517年の話なので、

当時はメキシコ合衆国は存在しておらず、

スペイン人がメソアメリカの地に踏み入る2年前、

メシカ(アステカ)帝国全盛期で、

地方部族の反感も膨張し続けていた時期です。

日本は信長の時代の40、50年ぐらい前です。

 

宗教改革でカトリックとプロテスタントに分かれます。

その後、

このプロテスタントの流れから更に支流(枝)が生まれるのですが、

それがメノニタスの流れです。

一方でいつしかメノニタスは国を追われるようになるんです。

 

ところで、

メノニタスの語源はというと、

プロテスタントから別れた際のリーダー、

Menno Simonsです。

ようは教祖みたいな人ですね。

彼らの支持者達をメニスタス(Menistas)

と呼びました。

それが今日のメノニタス(Menonitas)

となったのです。

 

国を追われた彼らは、

ポーランド、

ロシア、

カナダ

と移住して行きます。

 

なぜ移住しなければならなかったかというと、

彼らが最低限求める、

教育、宗教そして言語の自由を尊重されなくなったからなんですね。

ロシアなど、

場所によってはその土地に残る人もいたようですが、

彼らの移住は続きました。

 

1874年にカナダに着きます。

カナダといっても当時はイギリスの自治領。

1914年に第一次世界大戦が勃発し、

ドイツ系であるメノニタスは敵視された上、

“カナダ国民”であるが故徴兵を強要されます。

 

その後1921年に

新たな土地を求めてメキシコへ向かいます。

駐ブラジルメキシコ大使の計らいで、

当時の大統領オブレゴンと話し合い、

五つの州を紹介されます。

チワワ、ソノラ、ハリスコ、ドゥランゴ、そしてナヤリット。

彼らが要求する三つの条件【教育・宗教・言語】を保障する代わりに、

エーカーあたり8.25ドルで売買されました。

 

彼らが選んだのはチワワ。

メキシコ北部の市であり州です。

1922年に最初の移民が到着。

1926年までに約6000人のメノニタスがカナダから移住します。

現在は全国に約9万人、

1000人程がドゥランゴに、

その他メキシコ各地にも小さいながらコミュニティがあります。

ユカタン半島のチェトゥマルでも目にしたことがあります。

 

そのチワワで最初に移住が始まった街では、

今でも住民の約3割がメノニタスなのです。

その他はタラウマラ族と混血の住民で、

ここでもドイツ、メソアメリカ、スペインの

多民族社会が形成されています。

 

そんなメノニタスの歴史。

彼らにも独自の【文化】があります。

その文化を頑なに守るべく移住を繰り返してきました。

 

彼らの伝統的社会は“ある意味”、

非常に閉ざされたものでもあります。

例えば婚姻関係。

メノニタス間でしか結婚することは出来ません。

教育も、

一般の公立校ではなく、

メノニタスの学校があって、

そこで6歳から14歳まで学びます。

そして言語。

ドイツ語の“方言”を第一言語としています。

スペイン語は近年になって学校の授業に取り入れられました。

 

そんな伝統的なメノニタスの文化にも変化が起きています。

右と左です。

伝統を重んじる派と、

変化を重んじる派。

その割合はザックリと8対2。

 

リベラル派は携帯もインターネットも使えば学校もメキシコの公立校に行き、

その後も高校、大学とキャリアを積みます。

一方の保守派は、

学校はメノニタスの学校に行き、

15歳からは男性は農場・牧場、

女性は家業に携わります。

 

そんな両者とも、

対峙関係にはなく、

同じ民族として互いを尊重し共存しているのです。

 

いわゆる“普通”の“メキシコの固定観念”

に出てくることがないメノニタス。

彼らは独自の“文化・伝統”を誇り高く継承しつつ、

メキシコの国歌を毎週月曜に斉唱します。

ドイツ語で。

 

そんな彼らにも更なる変化が訪れています。

詳しくはメキシコでお話しします。

 

これも現代メキシコ社会の一つなのです。

メキシコは“ピラミッドとタコスとビーチ”だけではないんです!(笑)

 

【キオテ通信】バックナンバーもどうぞ