502年前の今日の「勝利の夜」。What ifで考えると歴史のインパクトが分かります。(1/2)

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育児期間中につき、

投稿が断続的になっております~。

落ち着きましたらほぼ毎日投稿に戻します。

いろんなことがあって、今日のメキシコのなっています。

 

ちょっと昨日、

1日中外に出ていて書きそびれてしまったので、

今書いています~

 

毎年書いている出来事というのがいくつかあるんですが、

その内の一つ。

一つの事件で歴史が大きく動いたかもしれないという大事件です。

 

500年前っていうとヨーロッパーアメリカはまだ大航海時代。

日本では戦国時代でした。

皆さんもご存じのマゼランが初めて世界一周しかけた、

という時代。

彼は1519年に世界一周の航海に出発、

翌年1521年にフィリピンで戦死しています。

奇しくもこのメシカ(アステカ)の終焉と同じ時期なんですねぇ。(覚えやすい)

 

メシカ(アステカ)の終焉といっても、

一夜にして攻撃を受けて牙城が陥落した、

という単純なストーリーではないんです。

約2年掛かって「征服」されています。

 

その中間地点だった1520年6月30日から7月1日、

今から502年前ですね、

ある歴史的大事件が、

今日のメキシコシティ中心部でおこったのです。

 

日本史でも~の合戦、

~の乱、

~の変、

という歴史的に大きな戦いがありましたよねぇ。

メキシコにもあったんですが、

502年前の今日の事件の死者は、

スペイン側で600人ともいわれています。

スペイン人800人中600人ですから、

相当な死者数です。

 

スペイン側に甚大な被害を及ぼしたこの事件は「スペイン軍の負け戦」。

 

厳密には両軍がバチバチやる「いくさ」というより、

メシカ(アステカ)優性の反乱と言った方がいいでしょう。

ようは、

メシカ人がスペイン人に「キレちゃった」という話。

「キレちゃった」という裏には理由があるわけです。

 

日本に「旧暦」があるように、

メキシコにも昔の暦がありました。

日本の方にも知られているものに「マヤ暦」というものがありますが、

アステカで知られるメシカにも暦がありました。

マヤと原理は同じなんですが、

そもそもマヤとメシカ(アステカ)では言語が全く違うので、

暦に使われる名称も違ってきます。

 

簡単にいえば、

メシカの旧暦は一カ月20日を18回繰り返すというもの。

例えば今(7月1日)はTecuilhuitontli月にあたり、

今年はこれが6月26日~7月15日まで二十日間続きます。

(知らなくてもいいです・苦笑)

日本の「文月」のようなものですね。

 

ことの発端はというと、

日本でいう「皐月」に相当する月にToxcatl月というのがありました。

メキシコの旧暦には各月に関連する神様がいたんですが、

このToxcatl月の神様はテスカトゥリポカという神。

 

ちなみにメキシコの神様たちは複雑なので、

あまり深入りしない方がいいです。(苦笑)

 

簡単にいうと、

テスカトゥリポカ神は「5番目の太陽」を創った神。

メソアメリカでは52年ごとに「新たな太陽」が生み出されると考えられていて、

前代の太陽、

この場合「4番目の太陽」はトゥラ(Tula)でケッツァルコアトル神によって創られました。

そのケッツァルコアトルはトゥラの王でもあるんですが、

敵対するテスカトゥリポカにプルケを4杯も飲まされ泥酔し、

儀式を怠ったり自身の姉と近親相姦を持ったりと不貞を働き、

トゥラから「東方面」に逃げたという伝説があります。

👇左から、

儀式をちゃんとするケッツァルコアトル王、

プルケを持つテスカトゥリポカ神(左)に会うケッツァルコアトル、

プルケで酔いつぶれたケッツァルコアトル

(出典:Arqueologia mexicana)

 

ここでは「神」と、

トゥラを治めていた「王」という人間がごっちゃになって良く分からなくなりますが、

「伝説」なので、

ここもあまり深入りしない方がいいでしょう。(苦笑)

あ、

ちなみにヘビという「動物」でもあります。(苦笑)

 

ケッツァルコアトルが創った4番目の太陽の時代が終わり、

「5番目の太陽」がテオティワカンでテスカトゥリポカ神によって造られるのです。

だから「テオティワカン」の伝説に、

生贄によって太陽と月が出来たというものがあり、

「神の場所」とか「神が集う場所」などと言われています。

一方で、そのどれもが誤訳で、

「Teotihuacan」というナワトル語は、

「人が神になる場所」という意味になります。

「集まる」ではなく「神になる」です。

👇テオティワカン遺跡

 

そのようにテオティワカンで始まった「5番目の太陽」の時代。

これがメシカ(アステカ)時代の繁栄期に続きます。

だ・か・ら、

国立人類学博物館の「アステカカレンダー」、

ではなくて、(苦笑)

「太陽の石」👇に「5つの太陽」が描かれています。

4でも6でもなければ、

「5つ」の太陽。

 

この時代がですね、

ちょうど1519年に「終わる」と考えれていたんです。

ケッツァルコアトル神の再来によって。

 

てことは「6番目の太陽」が?

はい、

ここで再び「トゥラから東の方」に逃げたケッツァルコアトル神の登場です。

テスカトゥリポカ神とケッツァルコアトル神は交互に太陽を創っていました。

ケッツァルコアトル神がその「6番目の太陽」を創るという時期が、

1519年にスペイン人の征服者エルナン・コルテスの征服の思惑と一致したというわけ。

 

「6番目の太陽」の時代を創るはずのケッツァルコアトル神の代わりに、

なんか、とち狂ったスペイン人が来ちゃった、

という話。

よって、

ケッツァルコアトル神は再来することなく、

6番目の太陽も創られず、

でも5番目の太陽はまだ消えず?(笑)

かれこれ500年ぐらい、

煌々と今日僕が住んでいるメキシコを照らし続けているのでした。(笑)

👇「5番目の太陽」とメキシコの国旗

風邪にたなびくメキシコの国旗

 

502年前の夜の出来事、

続きは後編で~(笑)

 

「勝利の夜」・後編

 

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