マヤの元はオルメカと繋がっていた!?(2/2)


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メキシコ観光省認定日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

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今日も呑気にメキシコから書いています~(笑)

 

マヤ人が造った都市だけど、そのベースはオルメカだった。

メキシコの観光ガイド岩﨑功がベラクルスでガイドをしている

アグァダ・フェニックスで見つかった「赤い床」はココ👆オルメカのサンロレンソの習慣だった。

アグァダ・フェニックスの発見

前回の続きです~👇

マヤの暦や文字はマヤの発明ではない。(苦笑)

 

それで去年でしたかね、 

日本の考古学者も参加するプロジェクトで、 

アグァア・フェニックスが「マヤの最古の建造物」で、 

マヤの年表をグッと押し上げるかも知れないという話がでました。 

それまでは、 

カンペチェのカラクムルで紀元前405年頃から少しずつ石碑などが造られたり、 

カラクムルの南40キロにあるエル・ミラドール(El Mirador)が起源前350年頃に興ったり、 

その更に南にティカルが同じような年代に興り、 

紀元を跨いでカラクムルと対立するようになっていました。 

 

そんな時に現れたのがアグァダ・フェニックスの大発見(笑) 

ココ👇ですよ~。 

 

調査から紀元前950年ぐらいから興ったとされています。 

てことは、、、 

それまでより最低600年ぐらい、 

マヤの巨大都市の年表が早まるということ。 

だから「大発見」なのです。 

 

アグァダ・フェニックスはマヤの都市じゃない説!?

がぁ、(苦笑) 

これには裏話があるんです。 

マヤファンはあまり認めたくない裏話?(苦笑) 

というのもですね、 

確かにマヤ圏内にある場所で、 

マヤ族によって建造されたようではあるんですが、 

これが完全に「マヤの都市」と言えるかどうかは「???」なのです。 

 

というのも、 

いくつものオルメカ特有の要素が、 

この遺跡から見つかっているんですね~。 

 

どういうこと? 

マヤがパクった。(笑) 

 

言葉は悪いですが、 

マヤはお隣の文化から模倣するのが得意だったようです。 

 

どういったオルメカの特徴が見つかったのかっていうと・・・ 

一つは「赤色の地面」。 

地面というか床というのでしょうか。 

これはオルメカの最初の都市、 

ベラクルス州のサン・ロレンソという場所でも見つかっているのです。 

 

「でも」っていっても、 

サン・ロレンソの方が先なんですけどね。 

サン・ロレンソが興ったのは紀元前1800年頃、 

紀元前1500年頃から栄え、 

当時のエリート層の建造物からこの「赤い床」が見つかっています。 

あとは陶器。オルメカの陶器は繊細です。 

 

そして石。

石と言っても緑色のヒスイなど。 

緑色というのは、 

オルメカの人々にとってはとっては「作物」を意味する色で、 

いろんな色があるヒスイやその他の鉱石の中でも、 

「緑色の石」が大変重宝されていたのです。 

 

紀元前950年頃っていうと、、、 

ちょうどオルメカはラ・ヴェンタが栄えて時期ですね。 

👇ここ 

 

そんな物的証拠から、 

アグァダ・フェニックスはマヤ人によって造られたものの、 

その要素は実はオルメカ文化を模したものだった、 

という事が推測できるんですね~。(驚) 

 

はい、それで、 

場所をアグァダ・フェニックスから南西に330キロの太平洋岸に、 

時代を400年ぐらい進めます。 

👇この辺 

 

ソコヌスコス地方と呼ばれていて、 

1897年に、 

日本からの最初の移民団が入植したエリアです。 

 

この時代紀元前600年ぐらいからですね、 

文化の「バトンタッチ」が続きます。 

数百年掛けて。

 

オルメカからバトンを引き継ぐのは「イツメーニョ」、 

または「ミヘソケ」と呼ばれる文化。 

 

イツメーニョ文化の重要性

実はこの文化ってこれまでにはある意味、 

歴史上になかった、 

或いは存在が薄かったのですが、 

この頃その重要性が指摘されてきているんです。 

 

簡単にいうと、 

オルメカからマヤの文化要素の形成が始まる間、 

紀元前600年ぐらい~同200年ぐらいに渡って、 

様々のオルメカの要素を引き継ぎ、 

それをマヤに引き渡したという文化で御座います。 

オルメカとマヤの架け橋的な役割をした文化ですね。 

 

この時代に、 

有名な「マヤ暦と文字」の原型ができるのです。 

 

正確にいうと、 

イツメーニョの文字はマヤの文字とは異なるのですが、 

これらもマヤがイツメーニョからパクった、のです。(笑) 

パクったら今度はマヤ式にアレンジを繰り返し、 

皆さんもご存知のマヤ暦やマヤの文字に発展していったんですね~。 

 

ちなみにこのエリアで見つかっている最古の文字とうのは、 

紀元前500~600年頃のもの。 

繰り返しますがこの段階ではマヤの文字ではありません。 

 

暦や文字の他に、 

イツメーニョがマヤに引き渡したもの。 

それはコレです。 

 

ん!?なんじゃこりゃと思われたでしょう。(苦笑) 

でもマヤの遺跡に行かれたことがある方ならご存知のはず。 

たぶん「雨の神」として紹介されたと思います。 

Chaac神です。 

 

これも裏話があって、(苦笑) 

正確には「嵐の神」、 

もっと言えばもともとは「トウモロコシ」の神として、 

イツメーニョの人達によって崇められていたのです。 

雨、 

というか嵐を「コントロール」するための神といった方が変わりやすいです。 

トウモロコシを得るにも、 

水がなかったら育ちませんからね。 

このイツメーニョの宗教観をマヤが引き継ぎ、 

今日も各地のマヤの都市跡(遺跡)でChaac神として見る事ができわけです~。 

 

イサパやチアパ・デ・コルソ、 

カミナリフジュ遺跡などの主要なイツメーニョの都市は、 

後にマヤの都市へと変わって行きます。 

その証拠に、 

これらの都市跡を掘って行くとですね、 

マヤとは異なるイツメーニョの痕跡が出てくる層が出てくるのです。 

 

謎多き「イツメーニョ」、 

または「ミヘ・ソケ」文化。 

テワンテペック地峡を横断するように形成された文化圏。 

その後期にはメキシコ中央部ではテオティワカンが、 

そしてソコヌスコス地方一帯ではマヤが台頭して来ます。 

メソアメリカ時代は、 

プレクラシコ期が終わりかけ、 

テオティワカンやマヤ前期のカラクムルやティカル、その後のパレンケなど、 

「発展」目覚ましいクラシコ期の幕開けへと繋がる局面を迎えるのでした~。

 

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