メソアメリカの「生贄」。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

シルバーウイーク4連休、いかがお過ごしですかぁ?

6時現在東京は20度と、

ちょっと涼しめ?なんでしょうかね。

コロナの脅威がまら冷めやらぬ中の連休ですが、

ごゆっくり楽しんで下さいネ。

 

昨日の記事【「夢」は持たないといけないのか】、

意外だったのですが、

フェイスブックはもちろん、

メール、ラインでも

たくさんのメッセージを頂きまして、

ありがとうございます!(笑)

皆さんの「夢」に対するご関心の高さがうかがえました。

まだの方はこちら☟をどうぞ!

皆さんのご意見・ご感想、

ご自由に御寄せ下さいネ。(笑)

【「夢」は持たないのいけないのか】キオテ通信

 

生贄。

☝☝☝メシカ帝国初期のテノチティトラン、
“テンプロマジョール”の第2層で発見された半寝の像(通称チャックモル)
生贄の儀式で使われていました。
注:
ガイドブックやメディアでチャックモルとして広く知られているこの像。
本来チャックモルとは別のものを指します。
解説はメキシコで。(笑)

 

今日は、

「生贄」のお話しです。

 

身の毛もよだつ、

言わずと知れた、

“死を捧げる”行為です。

 

これまでのブログでも盛んに、

「生贄」という言葉が出てきました。

また、

「生贄」

の方法にもイロイロありましたね。。。

 

心臓を取り出したり、

頭部の切断、

矢、

チチェンイッツァのように、

セノテに放り込んで溺死させたり、

火であぶったり、

メシカのグラディエーター式に撲殺したり・・・

 

とにかく思いつく限りの方法で捕虜や奴隷、

またある時は子供を神に捧げたのでした。

 

一方で、

「生贄」

という行為自体は、

なにもメソアメリカに限った事ではなく、

世界の他の地域でも行われていました。

 

生贄の定義は大きく分けて二つあるようです。

 

一つは神から人間に対して行われるもの、

二つ目へ、人間から神に捧げるもの。

 

メキシコでは僕が理解できる限りでは、

2の意味合いが強いですね。

 

トウモロコシの豊作を祈る春の行事、

トラカシペワリストゥリで行われるグラディエーターだったり、

干ばつ時に行われた雨乞いの儀式だったり、

何かを得る為に神様にお供え物をするという意味合いで行われていた

「生贄の儀式」が多いです。

 

「生贄」と言いましても、

死を伴わないものもありました。

例えばチチェンイッツァの所で出てきましたトゥラの王、

ケッツァルコアトゥルは、

伝説によると

「苦行」

をしていたそうです。

その苦行とは川での水浴びや、

マゲイの先端や黒曜石の刃物などで自傷するというものです。

☟☟☟左:ケッツァルコアトゥルの「苦行」
右:舌や耳を自傷しています。
出典:Arqueologia Mexicana

敵対するテスカリポカが老人に扮し、

マゲイのお酒プルケを4杯も飲ませて泥酔させ、

彼の思惑通り、

ケッツァルコアトゥルは習慣だった「苦行」を怠り、

その上自身の姉と近親相姦を持ってしまい、

トゥラ市民から見放されてしまうのです。

☟☟☟ケッツァルコアトゥルの失態
左から、水浴び、プルケ酒を差し出すテスカリポカ、泥酔したケッツァルコアトゥル
出典:Arqueologia Mexicana

死を伴う「生贄の儀式」は、

日常的に行われていたわけではありません。

大きく分けて二種類の「執行日」に行われていました。

 

一つは、

メソアメリカの暦に基づいた儀式。

例えば春のトラカシペワリストゥリ(トウモロコシの豊作祈願)や、

スペイン人による虐殺の舞台にもなった、

6月のメシカの神テスカリポカとウィツィロポシュトゥリに捧げられた行事トスカトゥル(Toxcatl)などです。

 

二つ目は、

記念行事のときです。

例えば新たな首長が決まった時や、

新たな宗教的建造物の建設されるとき、

雨乞い、

葬式などです。

☝☝☝テオティワカンには生贄の習慣は無かったとされていましたが、
1980年ににケッツァルコアトルの神殿の地下で後ろ手に縛られた人骨が見つかりました。
足の動脈を切り、失血死に至らせる方法で殺されたと考えられています。
テオティワカンの建設が始まったとされる紀元前200年頃のものとされます。
出典:Arqueologia Mexicana

 

そんなことで、

映画などの影響もあり?

四六時中頻繁に行われていたという印象さえありますが、

暦や習慣に乗っ取って、

「適切に」

行われていたのでした。

 

ここでは、

「善悪」は論点ではありません。

メソアメリカ時代の宗教であり、

習慣であり、

その中の儀式だったのです。

 

「生贄」は、

何も500年以上前のメソアメリカに限った事ではないんですよ?

殺す対象は人間ではないものの、

ネパールの農村では、

5年ごとに行われるヒンズー教の習慣で、

20万頭もの動物が

彼らの女神に「生贄」として殺されます。

(ご興味がある方はこちらをどうぞ・・・https://www.afpbb.com/articles/-/3257908

 

何かを願う気持ち、

それが現実世界で達成できないとなると、

人々は非科学的な神を信じ、

それが宗教となり、

場合によっては、

その神の為に現実世界の「生」を殺して捧げる、

という行為「生贄」が行われるようです。

 

月曜日の朝からゾッとするお話はこれぐらいにしましょ。(苦笑)

それでは、今週もポジティブに行きましょ~(笑)

 

#MexicoCentralTours

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