今日のメキシコシティの最初の住人の話。
メキシコはコロナ禍において入国規制がない、数少ない「今行ける海外旅行先」です。
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ちなみに👇これが500年前にスペイン人が記録した、
今のメキシコシティ中心部のもの。
赤い点が今日のメキシコシティ中心部。
冒頭の景色は南部(下)の高台から北(上)にみたイメージ。
内側の黒い線が今のメキシコシティ。
これはご覧になられた方も多いはず?
昔々、
メキシコシティは湖だった、
ということはこれまでにも何度か書いてきました。
で、👆の地図。
それよりも更に前のもの。
正確な年代はちょっとわからないんですが、
テオティワカンの時代(紀元前200年~700年)初期には、
これぐらいのエリアに水があったと考えられています。
スペイン人が描いたそれの、
2倍じゃきかない!?
北はテオティワカンまで及んでいます。
メキシコシティからテオティワカンまでは、
約50キロです。
今でこそ、
その湖というのは北のスンパンゴ、
空港の東、
そして南のソチミルコと、
南東のチャルコ一帯でしか見ることができなくなっています。
そんな理由から、
今日のメキシコシティで見つかる「遺跡」というのは、
島だったメシカ(アステカ)の首都、
テノチティトラン以外は、
かつては湖の淵だった場所に見つかっているんですね。
(出典:Arqueologia mexicana)
女性のシンボルというのは👇こういう土偶。
中央がメキシコ盆地のトラティルコのもの。
左がオルメカ、右がメキシコ中西部のオペニョのもの。
(出典:Arqueologia mexicana)
女性は「生誕」の象徴。
変な格好をしていますが、
これについてもちゃんとワケがあるんですね。
詳しくはメキシコでご説明します。(笑)
土偶や陶器の出現というのは、
「定住」と密接に関係しています。
なぜかというと、
陶器を作るには窯が必要ですね。
今のように携帯コンロなんてものはありません。
移動型のノマドでは大変です。
ちなみに、、、
日本最古の土器っていつの年代かご存じです?
16000年ぐらい前のものとみられる土器の破片が、
青森県の大平山元遺跡から出土しているようです。
土器について、
現在のメキシコの有名な遺跡でも、
たまに土器の破片が見つかることがあります。
知られていない遺跡では尚更多くの破片が見つかります
👇こんな風に。ポポロカ族の遺跡周辺で
これ、
「記念に」と持ち帰って見つかると刑務所行きですので、
絶対に安易な気持ちで、
その場から持ち去らないでくださいね。
てか、
見つかる見つからないという話じゃなくて、
その場所の文化や歴史への敬意です。
本来遺物はその場にとどまるべきです。
もちろん、
ルールを無視した行動や、
破壊行為は論外、
処罰の対象になりますのでお気をつけください~。(苦笑)
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👆500年ぐらい前のメキシコ盆地の様子。島がメシカの首都テノチティトラン。右端のとんがった山がトラパコヤか。
(模型の構成上湖が2分されているように見えますが、下の暗い緑の部分も上の明るい水色とお考え下さい。)
メキシコシティが湖だったということ。
はい、さてさて、 続きです。 前回はこちらをご覧ください~ [su_button url="https://mexicoct.com/blog/whatiscdmx-1/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc="メキシコ発 生ブログ"]メキシコシティてどんなとこ? 前編[/su_button] 早速ですが、 この地図👇はどこの地図でしょう?
テオティワカンやアステカよりもずっと前からあった人間社会。
たくさんある中で、 考古学上特に重要とされているエリアというのがいくつかあって、 例えばトラティルコやトラパコヤでは、 このメキシコシティがある盆地で、 最も早い段階で定住が始まり、 そして「女性をシンボルとした信仰」がすでにあったと考えられています。 紀元前2500-3000年頃の話。 トラパコヤで見つかったメソアメリカ最古とされる土偶👇紀元前2300年頃のもの。

