メキシコ社会の表に出ないアフリカ系の人々。

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メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ旅行の政府公認ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

メキシコは一つの国では括れない超多民族国家。

☝☝☝アフリカ系のメキシコの少女達

メキシコでも奴隷制度があった

メキシコにいらしたことがある方でしたらご想像つくと思いますが、

メキシコにはいわゆる“黒人”の人達ってあまり見かけないんです。

 

中米ホンジュラスとか、

南米コロンビアに行けばその人口は増えます。

 

しかし、

メキシコにそうしたアフリカ系の人々が“いない”ということではないんです。

 

個人的に“黒人”という表現は好きではないので、

アフリカ系メキシコ人と呼びます。

 

彼らは忘れられるべきではないメキシコの人達なのです。

 

最初にアフリカ系の人達のメキシコ上陸の記録が残るのは、

スペイン人が1520年に連れて来たとされるのが最初で、

その後どうなったのかなど、

詳細は知られていません。

 

メシカ帝国を乗っ取ったあと、

スペイン人は地方の部族も自分たちの支配下において行きます。

エンコミエンダ制といって、

スペイン人諸侯に割り当てられた領域内では、

元々その地域に住んでいたメソアメリカの人々が搾取され、

スペイン人の為に労働を強いられ、

次第に奴隷化していきました。

 

奴隷化禁止の結果がまた奴隷

これにより、

1538年にスペイン王カルロス1世は、

メソアメリカ系住民の奴隷化を禁止し、

彼ら独自の伝統や政治の元に生きられるよう、

奴隷禁止宣言を出します。

 

その代わり、

重労働を担うアフリカ系の人々が“輸入”され奴隷として“使われた”のです。

 

初期の記録では、

Luis de Castillaというスペイン人が、

100組のアフリカ系の奴隷と200頭の牛と馬を輸入し、

オアハカに連れて行ったそうです。

 

奴隷の大半は西スーダン、コンゴ、アンゴラ、ギニア出身で、

イスラム教徒だったそうです。

彼らはベラクルスに到着後、

まずメキシコシティの奴隷市場で売買され、地方へ連れて行かれました。

 

彼らの子孫が今日もメキシコの地に根を張り、

そして他のメキシコの人々同様、

メキシコの多文化社会の一部を形成しているのです。

☝☝☝ゲレロ州の村

 

アフリカ系の人々の主な居住エリア

しかしこうした事実はあまり表に出て来ないんです。

現に観光地を歩いていても、

殆どアフリカ系メキシコ人と出会う事はないです。

 

なぜでしょうか。

 

今日アフリカにルーツを持つメキシコ国民は、

全人口の1.16%程です。

メキシコの人口が1億2000万とすると140万人ほどのアフリカ系の人達がメキシコに暮らしています。

どこにアフリカ系の住民が多いかと言うと、

一番はゲレロ州です。

アカプルコがある州ですね。

次いでオアハカ州、

そしてベラクルス州です。

この3州でアフリカ系住民の20%弱を占めます。

他には、

チアパスやミチョアカン、

北部はコアウィラ州にも彼らのコミュニティがあります。

 

元々は、

Juchatengo、

Jamiltepec、

Pinotepa del Rey,

Huazolotitlan

など、

現オアハカ州の南西部や、

ゲレロ州の南東部に位置する村で、

主にサトウキビや綿花農園で働かされました。

彼らは母国と同じような蒸し暑い環境に対して

適応力があり重宝されていました。

 

そうした“奴隷”の一部が逃げ出し、

別の地域にコミュニティをつくり、

密かに住んでいた場所があります。

そうしたところでは現在でも、

アフリカ系住民が多く生活する場所でもあります。

 

ベラクルス州にジャンガ(Yanga)という村がありますが、

ここは脱走に成功したアフリカ系住民と、

一部のメソアメリカ系の住民が密かに住んでいた場所として知られています。

 

「アミーゴ」じゃないメキシコの顔

一方で、

こうしたアフリカ系の国民への風当たりは強いんです。

 

差別です。

 

一見、

アメリカのような差別社会ではないおおらかな国に見えますが、

メキシコは差別を色濃く残す国でもあるんです。

 

スペインの植民地ヌエバ・エスパーニャ時代には、

例えば黒人の血が1/4でも混ざっているとクアルテロネス(Cuarterones)

1/5混ざっていると キンテロネス(Quinterones)といわれて、

スペイン人社会から排斥されました。

“Blanqueamento(白人化)”といって、

スペイン系の家系であること(血統)を保証するための書類までありました。

 

実際に彼らのメキシコ人社会への参加は今日でも非常に限られており、

教育へのアクセスも限られ、

非識字率も国全体の5.5%を3倍も上回る15.7%です。

この現代で、

メキシコの都市部はいわゆる先進国レベルにまで発達しているのにも関わらず、

文字を認識できない人達もいるのです。

 

肌の色と、

そうした不平等な境遇により、

メキシコ社会で“見えない存在”となっているのです。

 

メキシコの政界や経済界、著名なメキシコ人で、

アフリカ系の人がいますでしょうか。

 

僕は見たことがありません。

 

超多民族国家メキシコ

メキシコは“超”がつく多文化社会です。

そしてスペイン人がメソアメリカを乗っ取った後、

ヌエバ・エスパーニャという植民地経済の一部を支えたのは

彼らアフリカ系メキシコ人なのです。

 

彼らは今日のメキシコの数千年にも及ぶ歴史の、

そしてかつて確認されているだけで124存在した言語に付随する各文化の上に成り立つ、

現代メキシコの複雑な文化の一部であることは紛れもない事実なのです。

 

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