グアダルーペ寺院の建設。
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」
をモットーに、
メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。
グアダルーペ寺院の建設。
グアダルーペ寺院のはじまり
前回はこちら~👇
メキシコとヨーロッパを繋げたもの
今でこそ、
年間に1100万人以上とも、
2000万人以上とも言われる人が参拝に訪れ、
バチカンに次ぐ、
世界で2番目のカトリックの聖地グアダルーペ寺院。
最初の社(やしろ)は、
テペヤック山のトナンツィンの聖地に、
聖母グアダルーペが出現したとされる1531年に建てられました。
☝ココに建てられました
時は流れ、
1695年に、
現在寺院で象徴的な建造物の建設が始まります。
これ実はですね、
ソル・フアナさんの所でお話した、
あの憎らしき極右的大司教フランシスコが始めました。
奇しくも1695年は、
ソルフアナさんが死去された年なんです。
(関連性は無いと思いますが・・・)
幾つかある建造物の内、
最も重要とされるのは、
Colegiata de Guadalupe
(コレヒアタ・デ・グアダルーペ)
という建物。
入って正面に見える、
4つの塔があるのが特徴的です。
初代聖地
上部には黄色のタラベラ焼(プエブラの特産品)で装飾が施され、
内部にはなぜかイタリアから持ち込んだ大理石が使われ、
銅像などもあります。
☝☝☝中央の建物です
巨大な建造物ですが、
一度に建設されたものではなく、
1736年までの
41年間に渡って建設されました。
その理由は、
一つはコスト、
二つ目は巡礼者用の“寝床”の確保が必要だったために中断を余儀なくされた為です。
その為に様々な建築要素が混ざっているんです。
確かにパッと見複雑です。(笑)
それは、
ゴシックに始まり、バッロク、ネオクラシックという要素が混ざっているからです。
例えば、
サン・ミゲル・デ・アジェンデに行かれた方であれば、
中心部の教会を覚えていらっしゃると思います。
あのノッポな教会はゴシック建築の典型です。
ちょっと話はそれますが、(苦笑)
そう言った意味では、
メキシコシティ歴史地区のソカロにある、
メトロポリタン大聖堂は更に複雑さを極めます。
あの建物は1573年に建設が始まり、
完成したのが1793年です。
(文献によっては1813年)
なんと完成するのに220年または240年という時間を要した巨大建造物。
話を戻しますと、
こちらの初代聖地コレヒアタ・デ・グアダルーペは、
41年後の1736年に完成します。
その右隣りにあるのが、
Expiatorio a Cristo Rey
(エスピラトリオ・ア・クリスト・レイ)
と呼ばれるものですが、
隣のコレヒアタ・デ・グアダルーペと、
上部のクプラ(ドーム)の色と塔以外は、
とても似ているのが特徴です。
これは1792年に完成します。
その後も建設と整備は続けられ、
バシィリカという称号を1904年に得ます。
(Basilica de Guadalupe)
屈辱的な場所でもある聖地
ところで、
メキシコがアメリカとの戦争に敗れ、
というかアメリカに侵略され、
領土の55%以上を失った際に署名を“させられた”、
「グアダルーペ・イダルゴ条約」
はココで1848年に調印されました。
また後日説明しますが、
ミゲル・イダルゴと並び、
メキシコ独立戦争の英雄の一人ホセ・マリア・モレロスが捕らえられ、
銃殺される前にもココ👇に祈りに来ています。
ケネディ元大統領やシャルル・ド・ゴール元大統領も訪れるなど、
メキシコ国民のカトリック精神の基盤を成す場所となったのです。
☝1974年建造の新しい大聖堂の中
メキシコの聖母はマリアではなく、グアダルーぺと呼びます。
で、グアダルーぺってどこからどうやって名付けられたのか。
次回をお楽しみに~~~(笑)
グアダルーペメキシコ発【キオテ通信】バックナンバーはこちら!
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