ブラジルだけポルトガル語の不思議。

メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!」

をモットーに、

プロのメキシコ旅行ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。

今日もメキシコから書いています~

何でメキシコをはじめ、

中南米諸国ではスペイン語が公用語なのか。

 

昨日書こうと思って書きそびれたものです。(苦笑)

(こんな風に僕には計画性がないんです 困)

 

遠くはフィリピンでも、

僕より2か3代ぐらい上の人であれば

スペイン語が分かる人もいらっしゃるようですね。

 

もちろんスペインが植民地にしていたからなんです。

その歴史はまた後日に。

 

ではなんでブラジルだけポルトガル語なんでしょう?

アメリカ大陸で唯一ポルトガルが公用語の国ですね。

 

これにはカトリック教会が深く関わっているんです。

 

今はなんだかんだ言っても、

結局はカネが支配する世の中ですが、

当時はカトリック教会が世界を支配していたんです。

教皇の鶴の一声で、

一国の領土が決まってしまうんですよ。

「はい、ここからこっちはスペイン、

こっちはポルトガルね」

という具合です。

 

ポルトガルは、

スペインに囲まれていて、

領土を広げて発展するのが難しい状況です。

発展には航海によってインドで香辛料を買い付けるしかなかったのです。

 

1143年にカスティジャ王国(スペイン)から独立したポルトガルは、

スペインに先駆けて大航海時代に先鞭をつけていて、

教皇から“布教”という大義名分で、

他の土地の発見と取得を独占するための教書を得ました。

それが1455年。日本は応仁の乱の12年前。

 

その後スペインも同じくインドへの航路が必要となり、

1481年に、当時のローマ教皇シクストゥス4世が、

大西洋を南北で二分する境界線を制定します。

これをアエテルニ・レヒス(Aeterni Regis)といいます。

カナリア諸島がある北緯30度から北の領域で発見された陸はスペインのもの、

それより南はポルトガルのものと、

としたんです。

どこにだれがいようと関係なく、

カトリック教皇の一存でですよ!

もちろん布教という大義名分の元ですが、、、

☝☝☝アエテルニ・レヒス線(青線)とコロンブスの最初の航路

 

それでスペイン隊は南のアフリカルートが不可能となり、

西へと船を進めアジア、インドを目指したんです。

その途中に見つけた島をインドだと思い込み、

そこ住んでいた人たちをインディオと呼び、

その周辺の島も含め西インドと呼んだわけですね。

これらの呼び名は今でも残っていて、

アメリカ大陸の先住民をインディアンとかインディオと呼ぶのはこのためという事はご周知の通りです。

 

でもこれも侵略者であるスペイン人側の都合の呼び方なので、

少なくてもメキシコでは使わないで下さい

 

当時はまだ南米大陸がヨーロッパ人に“見つかっていない”時期です。

 

翌年1493年にポルトガルはローマ教皇にクレームを出します。

このスペイン人によるまさかの“発見”に“不公平”だと。

 

そして教皇は、

ポルトガルのアソレス諸島から西に100リーグ(1リーグ約5.5キロ)の地点(38°W付近)を通る経線の東をポルトガル、

西をスペインの取り分と決めたんです。

この経線をインテル・カエテラ教皇子午線と言います。

 

このスペイン寄りの裁定に納得できないポルトガルは、

今度は直接スペイン王イサベルに、

教皇を介さずに直談判し、

更に西に70リーグ(1リーグ約5.5キロ)ずらす交渉をします。

これが有名な46°W付近を通る教皇子午線、

トルデシジャス条約です。

☟☟☟赤線がインテル・カエテラ線、青線がトルデシジャス線

 

この子午線が、

当時まだヨーロッパ人が知らなかった南米大陸ブラジルに掛かっており、

その後ポルトガルの植民地と認められました。

だからブラジルだけポルトガル語が話されているというわけです。

 

ご存知の人も多いと思いますが、

ご存知でなかった人も多いのではないでしょうか!?

 

もしスペイン側が妥協し、

更に西に子午線をずらしていたら、

中南米のより多くの国でポルトガル語が話されていたかもしれませんね。

 

その逆も然り、

もし教皇のさじ加減で、(困)

アエテルニ・レヒス子午線をもっと東にしていたら、

ブラジルもスペイン語だったかもしれません。