メキシコで今を生きる移民は移民でも、日本からの移民が始まった土地。


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メキシコで今を生きる移民は移民でも、日本からの移民が始まった土地。

👆アコヤグア町の榎本公園(撮影:岩﨑功)

 

昨日はタパチュラやホンジュラスなど、

中米やカリブ海からの移民の話を少しだけ書きました。

 

今日は日本人移民の話。

「移民」と聞いたときに、

周りを海で囲まれて、

言語も日本でしか使えない日本語のみを話す僕ら日本人からすると、

なんだか遠いアフリカなどの国で起こっている「問題」のような印象さえ持つ人も多いのではないでしょうか。

僕はその一人です。

 

なんかこう、

「外国」というと、

まったく別世界に行くような感覚。

「国境」という概念が果てしなく続く大海原で、

それを超えて「別の国」に行くということって、

もの凄く大変なことのように、

20年近く外国に住んだ今でも感じます。

だからメキシコ―グアテマラ国境地帯に行くとワクワクするというか、(苦笑)

「日本は大海原なのにここはこんなに簡単に、

パスポートも飛行機もなしに、

「せーの」の一歩で「別の国に行ける!」なんて、

一人ではしゃいでいるのです。(苦笑)

 

でもここメキシコをはじめとする、

多くの、

というか大半の国というのは陸続きだったり、

キューバのように島国でも、

スペイン語という共通言語で、

他の多くの「外国」の人たちとコミュニケーションを容易にとることができます。

するとより良い生活を求めて、

「良くない」と感じる自国から移り住んでくる人達が現れます。

そういう人たちを「移民」と言うんですが、

その「移民」、

中でもハイチや中米ホンジュラスから多く集まっている場所というのが、

昨日のチアパス州のタパチュラという町。

移民と言っても大きく分けて二つあって、

合法的に許可を所持している移民と、

正式な許可なく不安定な状態でいる移民とあります。

タパチュラに住む多くの移民は後者です。

 

公益財団法人海外日系人協会によりますと、

海外日系人をこう定義しています。

「日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、混血は問いませんが、そういう方々を海外日系人として定義しています。」

とのこと。

 

となると、

僕はメキシコに永住目的で生活の基盤を築いていますので、

「日系移民」となるようです。(笑)

 

今日は直行便で成田からたったの12時間でついてしまいますが、

飛行機がなかった時代は船ですよね。

黒潮に乗って太平洋を渡るわけですが、

帆船で4~5カ月ほどの航海だったようです。

でも1800年代は蒸気船がありましたね。

 

それでなんでメキシコに日本人が「移民」として渡ったのかという話です。

以前にも一度書いていますが、

これには榎本武揚さんという、

江戸幕府の幕臣で賊軍となりながらも、

彼の才能が認められて特赦され、

明治政府の高官にもなった人が関わっています。

(出典:Relatos de historias en Mexico)

経緯を全部書くと長いので、

ご興味がある方は別の資料をご覧頂ければと思います。

僕の解釈ですが、

榎本さんにはどうも「思惑」があったようで、

諸説あって本当はどうなのか、

今では知ることはできないのでしょうが、

どうも外国に「新国家」を作りたかったという野望があったとのこと。

表向きは狭い日本の資源の問題とか、

人口増への対処と言われていますが、

実は自分が追い求める「日本」を国外につくりたかった。

だから榎本さんは現に現北海道に蝦夷共和国という、

「独立国家」を作っていますね。

(正式には国家として認められなかったらしい)

 

メキシコ以外にも日本人の移住先はいろいろあったようで、

メキシコがその選択肢の一つになります。

これに関わってくるのが、

皆さんもご覧になられたことがあるでしょう、

映画ラスト・サムライでKen Watanabeさんと主演を演じたトムクルーズさんが演じるガイジン。

これフランス人のジュール・ブリュネという人なんですが、

彼がメキシコと関わっていたんです。

 

ときは1860年代初頭。

1830年代から続いた数々の戦争などの費用が嵩み、

メキシコは借金まみれになっていました。

しかしベニト・フアレス大統領はメキシコ国内の財政状態の回復を優先し、

対外返済をストップ。

これにフランス、イギリス、スペインがトゥリパルティア同盟を結び、

ベラクルス沖に集結、

フアレス政権に脅しをかけます。

その後、

フアレス政権と欧州3国はベラクルスのオリサバでネゴ、

結果イギリスとスペインは撤退するもの、

1862年、

ナポレオン3世の頭が狂ったフランス隊は攻め入ってきます。

これがあの有名なシンコ・デ・マジョ(Cinco de mayo)で知られる、

プエブラの合戦へと繋がるんですね。

これに後の大統領になるポルフィリオ・ディアス率いるメキシコ軍が、

フランス隊に勝つんですが、

頭が狂っているフランスは翌年に再びメキシコに攻め入り、

フアレス政権は北部の現シウダー・フアレス市に避難する羽目になります。

この2度目のフランス隊を率いていたのが、

このジュール・ブリュネ。

榎本武揚さんが幕末にヨーロッパ留学しているのですが、

その時にこのジュール・ブリュネさんと知り合い、

プエブラの合戦の様子やベラクルス港など、

メキシコのようすを榎本さんに語ったとされています。

榎本さんは優れた軍人である彼と友情を築き、

日本の兵力強化のために日本へ呼び、

後の1868年の戊辰戦争で共に戦うことになるのです。

 

これが榎本武揚さんがメキシコを知ったきっかけ。

 

それから30年の月日が流れ、

メキシコへ日本人移民の第一団が到着します。

現在はチアパス港と呼ばれていますが、

当時はサン・ベニト港。

1897年5月10日、

この港👇に35人(途中アカプルコで1人が病死、サンフランシスコでもう一人下船?)が降り立ちます。

(撮影:岩﨑功)

👇右側、船の後ろが外海へつながる水路。右から左へと日本人を乗せた船が入港したのでしょう。

(撮影:岩﨑功)

一行はタパチュラを経由、

その後エスクィントゥラ地方へと向かうのです。

👇ここ

冒頭の写真のように日本人を敬う記念碑などが見られます。

👇アカコヤグア町の公園周辺には日本の壁画も

(撮影:岩﨑功)

(撮影:岩﨑功)

👇TIENDA TOSHIRO。日系3世のTOSHIRO KAETSUさんの小売店。

(撮影:岩﨑功)

お祖父様が一世で来墨し、現地の女性と結婚。

まだ日本には行ったことがないが、

何れは行ってみたいとのこと。

👇エスクィントゥラ町の太田医師のお墓。オリジナルとレプリカがあります。

(撮影:岩﨑功)

このような、

メキシコの日系社会の出発点、

そしてその歴史をさらに辿って辿り着く先、

ジュール・ブリュネが率いた1863年のメキシコ侵略、

その後の幕臣の榎本武揚さんとフランスの高官ジュール・ブリュネの出会い、

そして彼らが共に戦った戊辰戦争と、

意外なところで日本-メキシコが繋がるのです。

その先が日本人移民が最初に居住したココ、

チアパス州ソコヌスコ地方のエスクィントゥラ、

アカコヤグア、

そしてマパステペックという町。

 

ガイドブックに載るような観光地でなければ、

有名観光地やインスタ映えするような何かがあるわけじゃありません。

そんな幕末~明治の歴史を頭の中で思い描きながら巡る日本人のメキシコでの足跡というところに、

ここの観光の価値があるんですね。

 

ご興味ある方、お連れしますのでお問い合わせください~。

 

ではまた明日。

 

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