マヤ族の出身地はユカタンではなかった?今も言葉で繋がるマヤとその出身地ウァステカ文化。(1/?)
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今日も呑気にメキシコから書いています~
マヤ族の出身地はユカタンではなかった?今も言葉で繋がるマヤとその出身地ウァステカ文化。(1/?)
👆マヤの中でも初期の事の都市カラクムル
去年に一度書いています。この話題。
覚えていますでしょうか~?
日本人の間で、
メキシコと聞いたらまず思い浮かべるのが、
カンクンの綺麗なビーチだったり、
チチェンイッツァの遺跡?
あとはセノテ?
それらの全てが、
ユカタン半島という場所にあって、
そのユカタン半島というのはマヤの文化が根付いていた(いる)場所です。
中学か高校?の世界史でも「マヤ文明」って習ったような記憶が・・・
マヤ暦や数字のゼロを使っていた事でも有名で、
たくさんのマヤ遺跡がある事でも知られていますね。
スペイン人がメソアメリカを占領する前、
最もコンタクトがあったのがこのマヤ文化の人達です。
スペイン人の中に、
ゴンサロ・ゲレロという人がいて、
船が難破してユカタン半島の東沿岸に漂着し、
マヤ族に捕らえられ、
その後の人生をマヤ人として過ごし、
マヤ人として出身国民(スペイン人)と戦い、
マヤ人としてその人生を終えたという話は有名です。
☟彼の本拠地だったチェトゥマルにあるゴンサロ一家の像。奥さんはマヤ人女性。
そんなメソアメリカ文明の中でも、
とりわけその存在感が際立つマヤ文化。
でも彼らの出身地というのは、
今のユカタンやチアパス地方ではなかったんです。
!?
他の例を出すと、
あの有名なアステカで知られるメシカだって、
その出身地はメキシコシティではなく、
ずぅっと北西の太平洋側だったと考えられています。
そう、
前にも書きましたが、
水の都を意味するアストランという場所が彼らの出身地。
「アストランの人々」
だから「アステカ」というのでしたね。
アステカ帝国、
ではなくてメシカ帝国をつくったのは、
そこから枝分かれした一派なんですが、
それは別の話なので割愛します。
あと有名な所だと、
トトナカ文化。
トトナカ族も、
マヤやメシカ程規模は大きくなく、
知名度も低いと思いますが、
メキシコ中東部を支配していた大文化。
スペイン人と最初に同盟を結んだことで知られています。
トトナカの出身地はずぅ~と北の方と考えられています。
どれぐらい北なのかというと、
今のモンテレイとかテキサス南部のあたり。
当時はノマド(狩猟採集型の生活)で、
北部から中東部への移動の過程で、
ピラミッドなどの都市建設が行われた痕跡はない、
正しくは「見つかっていません」。
そんな事で、
巨大文化圏に発展した文化が、
「移住者」であることは
実はそれほど珍しくないこと。
マヤもその一つ言うわけです。
じゃあどこから来たのかというと・・・
続きは次回~
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