かつて同じ船に乗った2人のスペイン人の運命の分かれ目・中編

カンクンからコスメル方面を望む。この海を“筏”で往来していました。
スペイン船の座礁からユカタン半島東岸に漂着
実は、 ここから先のストーリーは、 参考資料によって少し異なります。 両方とも政府機関の出典なのですが、 それでも異なるものになっています。 サンタ・ルシア号はサンゴ礁にぶつかり座礁して、 僅かに残った水と干し肉だけもって 手漕ぎの救命ボートでカリブ海に漕ぎ出したのでした。 説1、 漂流してユカタン半島のホルボシュ(ホルボックス)島の最北端部、 カトチェ(Catoche)の砂浜に漂着したとのこと。 説2、 同じく漂流して、 トゥルムの南シアンカーン自然保護区の海岸線に漂着したというもの。 こっちの方が信憑性が高いようです。 👇こことここです。
運命の分かれ目
来た道を戻りますが、 追手に気付き二手に分かれます。 ヘロニモはほどなくして捕まり、 カンクンの西の方にあった村に連れて行かれます。 そこで“奴隷”として、 薪を集めたり首長の側室?達の世話をしていたとか。 一方のゴンサロはと言うと、 なんとユカタン半島の南下を続け、 ベリーズとの国境の街チャクテマル(今日のチェトゥマル)に到達し、 その彼をそこの首長が迎え入れます。 👇ここ
漂着から8年後
さてここからは、 その「違う運命」についてです。 漂着から8年経った1519年に、 メシカ帝国、 そしてその後メソアメリカを乗っ取ったエルナン・コルテスが、 先日紹介しましたコスメル島に到着します。 それに先立って、 前年の航海で捕らえたマヤ人の情報から、 ヘロニモないしはヘロニモとゴンサロの二人が コスメル島にいるという事を知っていたのです。 コルテスはマヤ人の遣いに、 コスメルに捕らえられていた同士に宛てた手紙と土産を託し届けさせます。 それは無事にヘロニモ届きます。 ヘロニモはゴンサロにその事を告げますが、 ゴンサロは帰還を拒否してしまうのです。 彼の返答はこうでした。 「私は結婚していて子供が3人いる。容姿も完全にマヤ人だ。こんな私をみたらスペイン人達は何て言うだろう」 と。 そう言ってゴンサロはマヤ社会に留まったのでした。 運命の岐路。 その後、ヘロニモはどういう道を歩んのか・・・ そしてマヤ人と化したゴンサロは・・・ 後編で~ https://mexicoct.com/blog/jeronimoygonzalo-3/ [su_button url="https://mexicoct.com/category/blog/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc="バックナンバーはこちら!"]メキシコ発【キオテ通信】[/su_button] 一番下に関連記事が表示されるようになりました~ 画面を一番下👇👇👇までスクロール~ 【お一人のお客様同士のライドシェア】 [su_button url="https://mexicoct.com/rideshare/" style="flat" background="#ce608d" size="5" radius="round" icon="icon: chevron-right" text_shadow="0px 0px 0px #000000" desc=""]お得なキオテのライドシェア詳細はこちら[/su_button]SNSにてメキシコの写真と動画を多数アップしています!
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