メキシコと日本の関係はいつ始まった?
メキシコ在住15年目、
「メキシコの素顔を世界に!」 をモットーに、 メキシコ旅行の政府公認ガイド兼ドライバーをしています岩﨑コウです。 今日もメキシコから書いています~メキシコと日本の最初の接触

☝☝☝スペインのガレオン船
メキシコと日本を辿ると・・・ザビエル
メキシコと日本の最初の接触っていつだかご存知です? 今日では、 飛行機で12時間で着いてしまう両国ですが、 昔は飛行機なんてもちろんありません。 日本という島国への唯一の渡航手段は船です。 ちなみに、 同じ大航海時代に競っていた ポルトガル人が最初に日本と接触したのは、 1543年に種子島に漂着した時とされていますね。 この時に日本に初めて鉄砲が伝わったのは有名な話です。 スペイン人はといいますと、、、 ザビエルですね。 宣教師フランシスコ・ザビエル。 学校の歴史の授業で習った事を思い出します。 1549年の出来事です。 当時はまだ「メキシコ」という国はなく、 今日メキシコがあるエリアはスペインの植民地ヌエバ・エスパーニャでした。 だから「スペイン人のザビエル」も、 スペインの植民地だった「メキシコ」と繋がります。 日本はといいますと、 室町時代でしたね。 信長の時代に入る少し前でしょうか。 桶狭間の戦いの11年前です。 本能寺の変の33年前です。 ザビエルの日本での布教は失敗に終わり、 結局2年程で日本を後にするのです。メキシコの対アジア貿易のはじまり
ザビエルが去った14年後の1565年に、 当時スペインの植民地だったヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)は、 アジアとの貿易を始める為にガレオン船をアカプルコから、 フィリピンのマニラに向けて出港させます。 👇アカプルコ湾


日本との貿易
この通称ガレオン貿易または南蛮貿易は、 これから250年にも渡って途絶えることなく続く事になるのです。 これは、 7-8世紀に盛んだったシルクロードよりも 長い期間に渡って使われた歴史上最長の貿易ルートなのです。 スペインが長崎の平戸に商館を建てて、 “正式に”日本との貿易を始めたのは、 約20年経った頃の1584年です。 当時は秀吉の時代でしたね。 ただ秀吉はスペインとの関係を悪くしてしまいます。 その後家康の江戸時代が幕を開け、 彼は南蛮貿易を活発化させ、 スペイン(現メキシコのヌエバ・エスパーニャも含めて)との関係を修復しますが、 「キリスト教が日本を乗っ取ろうとしている」というデマ?を恐れ、 1613年に全国に禁教令を出します。 家康は1616年にこの世を去りますが、 江戸幕府は1624年にはスペイン船の来航を禁止するなど、 鎖国へと向かいます。 その一方で、 1613年にスペインとの貿易交渉の目的で、 支倉常長の「慶長遣欧使節団」を現メキシコ経由で派遣するなど、 スペインへ歩み寄りますが、 その目的は達成されることが無いまま、 支倉常長は出発から7年後に帰国し、 日本は1641年に鎖国が完成します。 キリスト教を恐れた徳川幕府が止めてしまった、 現メキシコのヌエバ・エスパーニャとの貿易関係。 この貿易で使われたスペインの貿易船ガレオン・デ・マニラ号は、 行きは赤道の上あたりをほぼ真西に進み、 帰りは黒潮に乗って北上し、アメリカ西海岸を南下し、 アカプルコに帰港していました。
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