この観光ルート、飽きないです。(笑)飽きないのには理由があります。


 

世にある旅行について、

毎日行き当たりばったりにメキシコから好き勝手に書いている、

ゆるすぎるメキシコブログ【キオテ通信】の時間です。

 

メキシコ在住16年目、

「メキシコの素顔を世界に!をモットーに、

複雑で広大なメキシコを【お得】で【楽】で【濃厚】完全プライベート日本語ツアーで、

いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供している、

メキシコ観光省認定日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウで御座います。

 

メキシコの数々の遺跡からグルメ、地方の見所、そしてメキシコの雄大な山まで、

尽きる事のないメキシコの魅力をお得にご案内しております。

 

この観光ルート、飽きないです。(笑)飽きないのには理由があります。

👆密林に佇む、殆ど観光客が立ち寄らないエル・オルミゲロ(El Hormiguero)遺跡。
AD600年ぐらいから200年間に渡って栄えた、クラシコ期のマヤの都市跡。

 

いやぁ~、

怒涛の日々を過ごしております。

今日(5 日前)だけでもマヤ(クラシコ期)の遺跡4カ所、

ホテルの下見4カ所、

民芸品の工房4カ所、

空港やその他大事な点を合わせて、

16カ所ぐらいを周りました。(苦笑)

それでも300キロの移動距離なので、

あまり動かなかったんですが、

動きまくった感があります。(苦笑)

 

皆さんが思い浮かべられる遺跡って、

有名どころ、

例えばチチェンイッツァとかテオティワカン、

トゥルムやコバ、

ウクスマル(ウシュマル)や、

ちょっと知っている人だとパレンケとか、

その辺だと思うんです?

ガイドブックにも紹介されているような場所。

 

もちろんそれはそれで間違いじゃなければ、

何か悪いわけでもない。

 

でもただ一つ、

読者の皆さんが気を付けた方が良いと思うこと。

それは・・・

「今日有名になっているそれらの遺跡って、

「利便性」の観点から取り上げられることが多くなり、

必然と知名度が上がった」ということ。

 

もちろんそれが唯一の理由で有名になったわけではありませんが、

「行きやすさ」っていうのは観光においては大事なポイントですよね。

 

やっぱり有名リゾートのカンクン周辺から近い場所。

日帰りでも行けるとなれば、

「海+遺跡」というメキシコならではの完璧な旅行ルートが完成するのです。

 

「マヤとかアステカとかなんかよくわからんけれど、

遺跡だからきっと価値あるものなんだろう」

と。

 

たぶん、

これまでにも何回かしつこいほど(苦笑)書いてきたと思いますが、

その背景がちょっとでも分かってくると、

遺跡観光が「より」楽しいものになって来るんですネ。

 

「楽しい」も人それぞれ感じ方が違いますが、

ジョブスさんの言葉を拝借して、

僕の場合は、

「コネクティング・ドッツ」

するようにしています。

 

 

ドッツはDOTS。点々です。

例えばです。

今僕はユカタン半島のマヤ圏、

チチェンイッツァの近くにいるので、

チチェンイッツァを軸にしましょうか。

点と点を繋いでいくというのはどういうことか。

 

チチェンイッツァというのは、

メキシコの年表でいうと比較的「新しい」マヤの都市跡(遺跡)なんですネ。

メキシコの考古学ではポスクラシコ期って呼ばれている年代で、

基本的にAD900年以降から、

スペイン人がやって来る1521年までの期間を指します。

 

チチェンイッツァと言えば、

この有名な”ピラミッド”でも有名ですが、

この☟神殿が特徴的なんです。

一見何の変哲もない建造物?と思われるかもしれませんが、

実は1500キロぐらい離れた、

テオティワカンの近くになる(といっても高速で1時間ですが)、

トゥラの遺跡にある☟この建造物と瓜二つなんですね。

 

陸で1500キロも離れている両都市。

しかもチチェンイッツァの全盛期は1000年~。

もちろん車も馬車もありません。

しかも周囲のマヤの遺跡に、

このようなトゥラの特徴を有した都市はない、

または今までに見つかっていないわけです。

マヤパンのはチチェンイッツァのエル・カスティジョと瓜二つ。

これはマヤパンがチチェンイッツァの後の都市で、

マヤパンがパクったから。

 

一説によると、

クラシコ期(AD200~900年)に繁栄した、

ティカルやカラクムルと、

トゥラの初期のグループが交易していて、

それらのマヤ前期の都市からチチェンイッツァを建設する

チョンタル族に受け継がれたというもの。

 

はい、なんかややこしいですね。(苦笑)

メキシコでちゃんとご説明します。

 

じゃあそのカラクムルってどいう都市なのか。

どこにあって、

チョンタル族とどういう接点があったのか。

 

この時期、

チチェンイッツァより若干早い段階で栄えていたトゥラという都市。

実はココにはですね、

テオティワカンのあのピラミッド、

通称「月のピラミッド」と瓜二つの建造物があるんですね~。

ちなみにこのトゥラの繁栄期である900年以降の200年間は、

テオティワカンは既に衰退いていました。

じゃあいったい誰が、

このテオティワカンの建築様式をトゥラに伝えたのか。

 

トゥラという都市は1150年頃に、

突如として衰退するのですが、

その後彼らが次の居住地として選んだのが、

チョルーラでしたね。

あのプエブラからも近いチョル―ラです。

そして放棄されていたトゥラに住み着いた部族、

それがあのアステカで知られるメシカ族。

トゥラに約20年住んでいたようです。

 

そのメシカ族、

Mexicaって書くですが、

Mexiは彼らが崇拝していた月の神Metzitliのスペイン語表記、

Caはナワトル語で「人々」、

つまり「Mexiの人々」。

CaをCoにして場所、

「Mexiの場所」でMexico。

これが今のメキシコという国名の由来です。

 

メシカと言えば、

スペイン人ンが接触して、

最も多くの記述が残っている文化。

その中「ポソレ」などの大衆料理が生まれました。

そもそもポソレの具は何だったのか。

そして何のために?

 

そもそもなんでアステカで知られるメシカは、

わざわざ「残酷な」生贄が行われていたのか?

皆さんが戦々恐々とする生贄の儀式が行われていました。

建物はなぜか東に向いて建てられています。その理由は?

 

なんで今のメキシコの人達は肥満気味で、

昔はちがったのか。

今の人達は何を食べているのか。

トルティジャの発祥は?

アラブ式タコス発祥の地は?

タコス以外のメキシコ料理は?

メキシコ料理の一角、

メキシコのお酒と言えばテキーラ。

その発祥は?

 

そんな風に深堀していくと、

いろんな「点」がどんどん繋がって行く感覚分かります?

遺跡から食から名称から部族から地理などなど、

全部が繋がって来るんです。

そうすると、

きっとタコスを食べる時にじぃっと眺めたりします。(苦笑)

テオティワカンではきっと、

ずーぅと遠くに離れたマヤやサポテカ文化にも思いを馳せているでしょう。

そしてそのずぅっと遠くに離れた、

マヤやサポテカ文化の遺跡(現地)に実際に足を運ぶと、

今度はオルメカが出てきたり。(笑)

オルメカと言えばメソアメリカ式農業の発祥の地。

チョコには欠かせないカカオの原産地があります。

 

掘り始めると「止められない止まらないかっぱえびせん」状態になるので、

この辺で切りますが、

僕が言う「点と点をを繋げる」ってそういう事で御座います。

 

そんな風にとらえていると、

自ずとメキシコ旅行の計画も、

また一味違ったものになってくるでしょ~

 

そんな能動的なメキシコ旅行、おススメします~(笑)

 

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