【メソアメリカ入植500年】メソアメリカが生まれるとき。終わる時。(3/5)ピスタチオを食べながら。(笑)


 

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今日も呑気にメキシコから書いています~

 

【メソアメリカ入植500年】メソアメリカが生まれるとき。終わる時。(3/4)

 

一昨日、昨日の続きです~

メソアメリカの始まり・その1

 

メソアメリカの始まり・その2

 

紀元前7000年ぐらいに少しずつ始まった農業革命。

それから約5000年の月日が流れます。

 

5000年ですよ。(苦笑)

 

今から5000年前って・・・

紀元前3000年ぐらい?

 

てことは、

エジプトやティグリス-ユーフラテス川流域で、

二つの古代文明が繁栄した時期です。

 

それから今日ぐらいまでの年月をかけて、

農業はどうなったというと・・・

 

トウモロコシが人間の手によって進化します。

☟こんな風に

 

あと、

メソアメリカでは土器を発明されます。

メキシコで見つかっているものは、

紀元前2400年頃のものがアカプルコがあるゲレロ州、

紀元前2300年頃のものがメキシコシティがあるメキシコ盆地から出土しています。

 

今でこそ、

トウモロコシはほぼ通年で栽培されていますが、

当時はお米のように、

春に植えて秋に収穫される作物でした。

 

だから春に「太陽の石」を使った生贄を伴う儀式をやったり、

秋に死者の日の習慣が生まれたのです。

 

あのぉ、

メキシコの「死者の日」って今ではハロウィンと混同されて、

仮装大会みないになっちゃっていますが、(苦笑)

昔は仮装もガイコツもパレードもなかったんです。

 

というはトウモロコシの収穫=時期の終わりを、

人間の死と合わせ、

ご先祖様を崇拝するようになった、

というがメキシコの「死者の日」の原点です。

 

「死」は「生」を生むがメソアメリカの世界観でしたネ。

 

それにカトリックの要素がくっついたのが、

現代メキシコの我々が目にする「死者の日」。

 

ちょっと話が脇にそれましたが、

この土器の発明は、

当時の人間社会をまた大きく変えるのです。

 

土器ができれば保存がしやすくなります。

持ち運びも楽になります。

 

土器が発明される前にも、

「保管」という概念はあったようで、

でも当時は地面に穴を掘ってそこに「保管」していたようです。

☟こんな感じ

 

それが穴ではなくて、

土器で可能になったのがこの辺り、

2500年以降。

 

そうなるといよいよ、

いつ現れるかも分からないあ動物を探し求め、

長距離を歩き続けて狩りをする必要もなくなります。

 

完全定住型の生活になります。

そうすると集落が形成されますね。

 

これが1000年弱続き、

あの有名なオルメカ文化に繋がるのです。

 

オルメカ文化って、

メソアメリカ文明最初の文化として知られています。

 

ところがですね、

実はオルメカ文化の前に、

オルメカ文化の基礎となる一部の要素をつくったグループがあったんです。

 

それを、

モカジャ(Mokaya)といいます。

ミヘ(Mixe)語で「トウモロコシの人々」を意味します。

 

どこかというと、

いわゆるオルメカ圏ではなくて、

太平洋側のこの辺り☟

 

なんでオルメカに繋がるかが分かるのかというと、

これ☟

 

「球技の儀式場」です。

これがメソアメリカに多数ある球技の儀式場の中で、

最古のものとされています。

 

オルメカ文化の最初の都市の形成が始まったのが、

紀元前1800年頃。

場所はベラクルスのサン・ロレンソというところ。

ココ☟

 

年表では紀元前1500年頃ってなっているものが多いですが、

これもプロセスで、

紀元前1500年にいきなりドカンと大都市ができたんじゃないんですね。

 

このサン・ロレンソからは、

球技の儀式に使われたとされる「球」が見つかっていますが、

球技場はまだ見つかっていないようです。

 

そんな、

後のオルメカ文化にも影響を残したモカジャの伝統。

でもモカジャ(モカヤ)はオルメカのように巨大な宗教的建造物を造ったり、

強大な首長を頭とする政治システムができるには至りませんでした。

 

じゃあ何でモカジャの発展が限定的で、

メキシコ湾側のオルメカ圏が栄えたのか。

 

一つはオルメカは初めて長距離の商業を行った事。

南はホンジュラスやグアテマラ、

北はナヤリット、グアナファト、シナロアなどとも交易がありました。

 

今日我々の関心は携帯だったり、

高価なファッションや、

持っているだけでは何の役にも立たないおカネだったりしますが、

オルメカの人達の関心は「石」です。

 

石のを各地方から集める事に躍起になっていました。

👆ラ・ヴェンタから発掘されたヒスイ、蛇紋石、玄武岩からなる「お供え物」

 

特に貴重だったのはヒスイ。

スペイン語ではハデとかハデイタって呼ばれています。

緑の石ですね。

アメリカ大陸ではグアテマラの断層一帯でしか採掘されません。

 

あとはサーペンティンとか蛇紋石って呼ばれるちょっと黒目の石。

そして黒曜石。

 

いろいろあるわけです。

 

そもそもオルメカ圏には「石」とか「岩」が限りなく少ないんです。

岩に関してはほぼ無いと言えます。

 

各地から貴重な「石」を「買」って、

オルメカ圏からはカカオや塩などを「売」っていました。

 

このルートというのが、

テワンテペック地峡という、

メキシコで一番細いエリアで平野という地形上の理由で、

物流が集中しやすかったんです。

つまり、

南にも北にも行きやすかった。

 

モカジャのエリアだと、

商業するにしても、

オアハカは山なので、

どのみちオルメカ圏に出ないいけないです。

👆上の地図

 

あとは、

平野なので時折洪水はあったのもの、

水が豊富であったこと。

これにより作物が育ちやすく、

人口が増えやすかったということも一因とされています。

 

そんな事で、

徐々に集落よりも大きい都市が、

サン・ロレンソを皮切りに、

ラ・ヴェンタ、

ラグゥナ・デ・ロス・セロス、

トレス・サポテス、

というオルメカの都市が誕生していったわけなんです。

 

メソアメリカ文明繁栄の幕開けです。

 

ここから始まったメソアメリカ文明の約4000年にも渡る歴史。

それが500年前の明日(メキシコ時間)、

突如として現れたスペイン人によって終焉を迎えた、

という事件です。

 

ではまた明日~

 

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