塩は塩でもメキシコ塩は奥が深いんです。
メキシコ在住20年、
「メキシコの素顔を世界に!」をモットーに、
複雑で広大な #メキシコ を【お得】で【楽】で【濃厚】な完全プライベート日本語ツアーで、 いつかまた戻ってきたくなるメキシコ旅行を提供している、 メキシコ観光省認定日本語ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。 メキシコの数々の遺跡からグルメ、地方の見所、そしてメキシコの雄大な山まで、 尽きる事のないメキシコの魅力をお得にご案内しています。 今日も呑気にメキシコから書いています~(笑)塩の話。(笑)

日本にはメキシコの塩が多い
「何でいきなり塩なんだ」 と思われた方もいらっしゃるでしょう。(苦笑) メキシコを知る上で大事な要素の一つだからです。 料理には欠かせない“食品”としてのイメージが強いと思いますが、 日本では食品として使われているのは全体の15%程で、 80%は非食品の工業製品に使われています。 紙や石鹸をはじめ、 ガラス、アルミ、あとは消毒液の塩素などですね。 それで、 日本で使われる塩の総量の内、 自給率というのは約15%、 ってことは残りを輸入に頼っているんです。 その主な貿易相手国というのが、 メキシコなんです。 “伯方の塩”の原産国を見て下さい。 メキシコとなっています。メソアメリカ時代から重宝されていた「 #塩 」
なんで今回のテーマが“塩”なのかというと、 メキシコは世界有数の塩の原産国であり、 その存在はメソアメリカ史上、 重要なものだったからです。 僕も既に何名かのお客さんをお連れしているのでが、 海岸線から何百キロも離れた内陸部、 しかも山間部に突如として “塩田”が現れる場所があるんです。 「えっ、なんでこんなところに!?」 って皆さん仰られるのです。
内陸部で塩ができるワケ
それで、 なんで内陸で塩ができるかというと、 ご存知の通り、 大昔は海底だったところが、 地殻変動で海水が閉じ込められたまま隆起し、 水分が飛び塩分が結晶化した岩塩層が地下にできたのです。 そこに地下水が通り、 塩水となって地上に湧くのです。
「塩」は不吉なもの?
理由は良く分からないのですが、 メキシコでは塩はあまり良いモノとして捉えらない場合もあるのです。 スペイン語で、 Estoy salado con mi jefe (エストイ・サラド・コン・ミ・ヘフェ) というと、 “私は上司運が無い”(⇒アホな上司でこまる) La sal de la vida (ラ・サル・デ・ラ・ビダ) は“人生で良くないもの/事”(⇒縁起がわるいもの) Te echo la sal (テ・エチョ・ラ・サル) で、“あんたの不幸を願う”(苦笑) とまぁ、 いい事ないんですね。 一方で、死者の日のオフレンダ(お供え物)には塩を置きます。 これには清めるという目的があります。 日本でも悪いものを取り除いて、 清める意味が有りますよね。 だからお葬式から帰ると玄関先で塩を振ったり、 聞いた話ですが、 営業パーソンが訪問したら塩を振られて門前払いされたとか。(苦笑)メソアメリカ時代の塩の重要性
メキシコでは、 紀元前2400年~2300年に掛けて、 陶器が発明され、 それまでの狩猟採集型の生活から、 #トウモロコシ や豆などの農業定住型の社会へと移行します。 肉の内臓や骨には塩分が多く含まれていますが、 植物には含まれない為、 別に塩分を摂る必要が出てきました。 それ以降、 塩は初期は大量に生産できなかったこともあり、 メソアメリカ時代は価値が高いものなっていったのです。 こうして、 作物と塩の摂取は密接な関係となったのです。 それにより、 作物の収穫の時期に合わせ、 塩も“収穫”するようになりました。 特に作物の収穫前の、 暑くて雨が少ない時期にです。「塩」の商業化
そんな塩が商業化するのはクラシック時代(200~900年ぐらい)、 その後陶器により計量と、 様々な形にした“商品化”が進み、 生産地を巡り戦いも頻発しました。 統治者は地方の村に塩を年貢として納めさせ、 “商品”の形によって生産地を特定していたのです。 塩の取引は、 離れた村と村の交流や交易も活発化させたのです。
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