アステカではなくメシカと呼ぶ理由・後編/メキシコ国名の由来

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メキシコ在住15年目、

「メキシコの素顔を世界に!

をモットーに、

メキシコ公認ツアーガイド兼ドライバーの岩﨑コウです。

 

明日(日本の今日9月16日)はメキシコの独立記念日です。

でも祝うのは今夜15日。

その理由は、

独裁者だったポルフィリオ・ディアス“大統領”が、

自身の誕生日を祝うために、

一日前倒したから、

ということは別のブログで書きましたネ。

 

アステカではなく、メシカと呼ぶ理由。後編。

☝☝☝メシカ帝国の首都テノチティトラン
現在のメキシコシティ中心部

 

帝国を築いたメシカ族

なんでアステカとメシカが繋がるのか、

というところで前回終わりましたね。

前編はこちら👇

アステカではなくメシカ・前編

 

彼らが信じていた神様にウィツィロ・ポシュトゥリという存在があり、

実在もしていた?人物像があるんです。

 

神話と実話が混在するのでちょいとややこしいです。

でもご心配なく。

 

アステカ人と言ってもいろんな部族の集団でした。

900年頃、

メキシコ史の年表上でいうとクラシコ期末から、

北部のナワ族の移動、南下が始まりました。

前部で「7つのナワ族」と呼ばれています。

 

最初に今メキシコシティがあるメキシコ盆地一帯に入ったとされるのが、

ソチミルコをつくったソチミルカ族。

 

最後にこの一帯に到達したある部族に

“月”の神Metztliを信仰する習慣がありました。

 

だからMetztli(メシトゥリ)という名前はとても神聖なもの、

そしてその最後の集団のリーダーもメシトゥリと名乗りました。

 

彼はこの部族を守るために戦った誇り高い戦士でありリーダーだったんです。

文献によっては、

メシ(Mexi)と呼びます。

 

そのリーダーの苗字を冒頭のウィツィロ・ポシュトゥリ(Huitzilopochtli)と言います。

 

だからウィツィロポシュトゥリ神は「メシカの神」です。

 

ナワトル語で語尾に人々を意味するCaをつけ、

メシトゥリまたはメシの従者はメシカ(MetzicaまたはMexica)と呼ばれました。

 

Mexi(月の神)+Ca(人々)=月の神メシの人々

 

メソアメリカ末期、

強大の帝国を築き、

広大な文化圏を発展させ、

スペイン人に乗っ取られ、

その地に今日のメキシコの首都メキシコシティの前身、

テノチティトランを気付いたのはこの人達👆であり彼らの子孫です。

だから他のナワ系の部族を含むアステカではなく、

メシカであり、メシカ帝国なんです。

 

メキシコの国名と国旗はメシカ族の伝説そのもの

従者であるメシカ族に神様メシトゥリ(メシ)の神託が下ります。

 

「湖に浮かぶ島でサボテンにとまるワシがヘビを咥えている場所に街をつくるのだ」

 

と。

 

ほほ~。

 

こうして後に「メシカ族」と名乗ることになる、

最後のナワ族が「1のナイフ」の日に水の都アストラン(Aztlan)を出発します。

1116年頃と考えられます。

👇Tira de peregrinacion(巡礼の記録)でアストランの出発の様子(赤線内)が描かれ、その右に「1 Tecpatl」が記されている。

左端が島(アストラン)で右に向かってボートを漕いでいます。その右に小さいですが、赤枠の右は第1中継所の「先祖の場所」と呼ばれる場所

当時のナイフはこれ👇

 

アストラン(水の都)を出て以降、

“紆余曲折”を経て、

1325年頃に

彼らが辿り着いた先が、

当時は湖だった

現在のメキシコシティ中心部に浮かぶ“島”なんです。

そしてその島に、

後のメシカ帝国の首都テノチティトランを建設するのです。

今日のソカロ一帯です。

👆赤い点が500年前の島テノチティトランであり、今日のメキシコシティ中心部です。(方角:上が北)

👇でも1325年当時はこんな風に5つの小島でした。その中で最も大きな島が、今日のメキシコシティ中心部、ソカロ一帯です。(方角:左が北)

👇約200年後には5つの小島がくっついてこうなっていました。黒線がかつての小島(方角:左が北)

 

だ・か・ら、

今日メキシコの首都であり、

国旗にもそれが描かれている、

ということは先日の国旗のブログでも書きましたね。

👇島の上のノパル(サボテン)、その上で鷲がヘビを加えている👉月の神メシトゥリ神の神託

 

メシトゥリ(メシ)の他に、

もう一人の重要人物がいます。

彼の名をTenockatl(テノシュカトゥル)と言うのですが、

彼は神メシトゥリ(メシ)の従者集団メシカ(メシティン)を率いてメキシコ盆地に向かった人物です。

 

上記の“テノチティトラン”は、

彼から命名されているんですねぇ。

 

整理すると・・・

“月”を崇拝したアステカの一グループのリーダーであり、

戦士であり神でもあるメシトゥリ(メシ)と、

メシトゥリの没後そのの従者集団を率いて、

メキシコ盆地に首都テノチティトランを造ったテノシュカトゥル

という二人の人物像がある、

という話です。

 

ナワトル語でCoは「場所」を意味するのですが、

語尾にCoを付けて、

Metzico👉Mexico(スペイン語表記で)

つまり、

「月を崇拝したメシトゥリ(メシ)に定められた場所」

「メシトゥリの従者集団メシカの場所」

という意味になります。

 

なぜメキシコ盆地に首都を建設?

アストランは、

メシカ人にとっては「故郷」であり「神聖な場所」だったんですね。

でも、

この広いメキシコで、

なぜ“アステカ”人が別の広い場所に都市を建設しなかったのか。

不思議ですよね。

 

なぜ、

狭いメキシコ盆地に、

“わざわざ”彼らの首都を建設したのか。

 

ポイントは、

前回説明した、

アストランの意味です。

Atl=水、

Atlan=豊富な場所

でしたね。

水の都。

 

水が豊富にあると言えば、

周りが水に囲まれた“島”です。

 

だから、

陸地ではなく、

わざわざ狭い島を探したのです。

彼らは、

そこをアストランの“レプリカ”にしようとしたんでしょうかねぇ?

 

現に、

島の中は4つの地区に分けられていました。

アストランと同様に。

そのような理由で、

メシカ人は時折、

“昔”のアストランを“Mexico”と呼んでいたそうです。

 

メキシコではなくメヒコ

時は過ぎ、

スペイン人が乗り込んできます。

彼らが耳にした、

Metzico

を、

スペイン人はMexico

とします。

 

なぜならば、

tziはシに近い発音で、

当時のスペイン人はシをxで表したんです。

 

更に時は過ぎ、

現代のスペイン語では、

xはヒの発音となり、

メヒコ(Mexico)

と呼ばれるようになりました。

 

これがメキシコの国名の由来です。(笑)

 

¡Vamos a matar gachupines!

(スペイン人をぶっ殺そう!)

ではなく、

「ビバ・メヒコ!!」 笑

 

ではまた~

 

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