「チチメカ人」を辿っていくと行きつく場所。有名な遺跡チョルーラの意外な話(2/2)


 

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「チチメカ人」を辿っていくと行きつく場所。有名な遺跡チョルーラの意外な話(2/2)

 

ちょっと間が開きましたが、その1の続きです~

前回はこちら~

チチメカ その1

 

「チチメカ」の一派、

「トルテカ-チチメカ」グループがですね、

今日日本の自動車関連企業がたくさんあるバヒオ地区を通って、

700年ぐらいに今のトゥラがある一帯に辿り着き、

都市建設を始めます。

トゥラ周辺には約20程の小さな部族があったと言われ、

彼らと共同で都市建設したそうです。

この「トルテカ-チチメカ」の首都トランまたはトゥラの王というのが、

これまた有名な、

ケッツァルコアトル(羽毛のヘビで知られる)です。

この伝説はちょいとややこしいのでココでは割愛しますが、(苦笑)

チチェンイッツァのククルカンや、

テンプロマヨールのケッツァルコアトルは、

このトゥラのが元なのですよ。(驚)

 

注意:

ケッツァルコアトルという名称が「羽毛のヘビ」に使われ始めたのがトゥラからであって、

「羽毛のヘビ」自体は古くはオルメカ文化からありました。

この理論からすると、

テオティワカンの「ケッツァルコアトゥルの神殿」というのは「間違い」です。

なぜならばテオティワカンの時代はトゥラは存在していなかったから。

 

900年頃から全盛期を迎え、

当時のメソアメリカで単体の都市としては最大、

広範囲にわたってその勢力を誇っていたそうです。

がぁ、

そんな時代も長くは続きませ~ん。

12世紀中頃、

年表上では1150年にですね、

地元の部族と共同で行っていた政治に亀裂が入り、

トルテカの首都は崩壊、

トルテカ人は方々に散らばってしまいます。

その一部は、

今日のテワカン(Tehuacan)一帯に移住すべく、

約36年にも渡たって放浪し、

辿り着いた先と言うのがあの有名なチョルーラなんです。

チョルーラはご存知の方や、

実際に行かれたことがあるという人も多いと思います。

プエブラの隣町、

というかもうプエブラに飲み込まれている感じですが。

 

なんでチョルーラに皆さんが行くのかというと、

十中八句、あの巨大なピラミッドだと思うんです。

でも実際にピラミッドに見えなくてガッカリするそうですが、(苦笑)

今は小山に見えますが中はちゃんとピラミッドなのですよ。

1辺が400mを超えるメソアメリカ最大級の建造物とされています。

 

このチョルーラという都市自体は、

紀元前700年ぐらいに興こり、

これらの主要建造物が建てられたのは

紀元を跨いだ200年頃からだと考えられています。

それからテオティワカンと共に最初の繁栄を迎えるのですが、

テオティワカン崩壊後の800年頃から徐々に衰退、

ついには放棄されてしまうんです。

 

放棄といっても、

完全に無人になるとかではなくて、

周辺にも小さな部族が住んでいたわけです、実際には。

その部族をオルメカ-シカランカ族っていう、

べつに知らなくてもいい名称なんですが、(苦笑)

そこに1150年にトゥラを追放されたトルテカ族が押し寄せて来るのです。

36年の放浪を経て。

トルテカ族の言語はアステカで知られるメシカ族と同じ言語、

ナワトル語なんですが、

彼らが今日のチョルーラでも見る事ができる、

あの巨大なピラミッドを見て、

Cholollan Tlachiualtépetlと呼んだんです。

その意味は・・・

「雨に最も近く人間の手によって作られた小山」。

当時から既にピラミッドというより、

小山になっていたんですね。

で、

今日有名なチョルーラという名所は、

このCholollanから取られていますよ~、

という話です。(笑)

 

トルテカ人はCholollan、

チョルーラにやって来て、

そこにいたオルメカ-シカランカ族と約5年に渡って「共同生活」するものの、

チョルーラの「乗っ取り」に失敗。

彼ら曰く神のお告げに従って、

出身地のチャルチウィテ圏に戻り、

「チチメカ」人を補強してチョルーラに戻り、

制圧する事に成功するのでした。

(このストーリーが事実に基づくものかどうかはわかりませんが)

 

チョルーラを手に入れたトルテカ族は、

仲間の「チチメカ」に部族ごとに土地を与えます。

その部族の名称が、

現在の街の名称として残っているのも興味深いですね。

例えばサカトランという街。

Zacatlanと書きますが、

これはチチメカの一部族、

サカテカス(Zacatecas)が由来。

 

1150年のトゥラ崩壊によってトルテカ人は、

このチョルーラもそうですが、

今日メキシコシティがある場所にあった湖の東の湖岸や、

メキシコ最高峰のシトゥラルテペトゥル山、

通称ピコでオリサバ山の西側の麓にもチチメカ由来の痕跡が見つかったりと、

方々に散らばった事が考えられます。

 

ちなみに同じく北西部にあったとされる、

アストラン(Aztlan)出身とされるアステカ人が、

トゥラを造ったチャルチウィテスと同じように南東に移動を始め、

そのトゥラに19年に渡って住みつき、

しかもその後に彼らを追いかけるように今日のメキシコシティの、

東の湖岸に住み着いていたトルテカの末裔を探し求めたという話、

果たしてトルテカとメシカ(アステカ)にはどういう接点はあるのでしょうね~。

 

どうでしょう。

「ややこしい」の一言かもしれませんが、(笑)

こんな風に、

一見関係なさそうな各都市跡をですね、

点と点を繋ぐように見て行くと、

「なるほど~」と分かってくるんです。

チョルーラの名称一つにしても、

語源が分かると興味深いもの。

 

どこでどう繋がっているか分からないメキシコの観光地。

メキシコ北西部の「チチメカ」から始まって、

終着地点は南西部のチョルーラ。

メキシコの古代遺跡巡りは知名度だけでなく、

年代と各地の部族の関係性も合わせて見ていくと、

より意味のメキシコの旅ができると思いますよん、

という話でした~。(笑)

 

では~

 

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