あんまり知られていないメキシコの8月の出来事。
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前回の続きです~👇
あの出来事にはワケがあります。
👆スペイン人によるテノチティトランへの猛攻の様子。(出典Aruqueologia Mexicana)
【前置き】ガッカリするときの話
今日3日ぶりに拙宅に帰ったんですが、
やっぱり我が家は良いですね~
今回泊まったところ、
メキシコシティの南モレロス州というところ、
エアービー&ビーで手配したんですが、
なんか汚いはお湯出ないは水出ないはで、
そのくせ1泊1万円以上するという、
ちょっと悲しい宿泊所だったんです。
ん~、僕はあんまり寝所には拘らず、
最低限清潔でお湯がでる場所なら少しぐらい遠くても古くてもいいんです。
でもお湯が出ないとかゴキさんいるか、
シーツ汗臭いとか(苦笑)
ちょっとテンション落ちちゃいますね、やっぱり。
だったら屋外でテント張って寝た方がよっぽどいいです。
自分の汗なら全く気にならないので。(汗笑)
それ以外は楽しめてよかったですけどね~(苦笑)
世界五大文明の一つがその幕を閉じた
遅くならないうちに本題に入りますと・・・
「テノチティトランが陥落」
結論を先に書くと、
この大事件により少なくても紀元前3000年ぐらいからあった、
「メソアメリカ文明」という現代の歴史上の区分の期間が「終わった」ということです。
一つの人類の時代が終わったってとてつもない大事件。
「紀元前3000年」と書きましたが、
とても「おおざっぱ」な書き方です。
合計すると約4500年ぐらい、
今風にいうと「メソアメリカ文明」というのが、
今日このメキシコがある一帯に存在していたという時代。
この世界5大文明のひとつである「文明」の「終わり」というのが「8月」に起こったということ。
👆このインパクトのデカさ、わかりますでしょうか
アメリカ大陸で「純血」が終わり「混血」が始まった
ちなみに、
「メソアメリカ」というのは1900代初頭に名付けられた名称で、
当時「メソアメリカ」という単語はありませんでした。
しかもこれって考古学っていうサイエンスに基づいて、
歴史上のある地点からある地点までを、
そう呼称すると「決められた」ものでした。
例えば、
紀元前3000年以前にもとうぜん人々の「生活」というのはあったわけですね。
ただ「高度に文明化」されていなかったという話。
狩猟採集民、ノマダです。
分かり易いようにもうちょっと極端な言い方に直しますと、
どこからが「混血」と呼ぶのか、
僕は学者じゃないので言い切れませんが、
仮にアメリカ大陸において、
「ヨーロッパ人との混血」を最初の「混血」と定義すると、
それ以前は「純血」。
このアメリカ大陸における「純血」の時代の終わりが「8月」に起こったということ。
アメリカ大陸最初の「混血」
ちなみに・・・
アメリカ大陸で「最初の混血」の話をしだすとまた大変なので、(苦笑)
ココではあまり書きませんが、
ちょっとだけ書くと、
アメリカ大陸最初の混血メスティソはこの方👇、
スペイン人のゴンサロさん一家から始まったというが通説です。
もしかしたらそれ以前にもパナマあたりであったのかもしれませんが、、、
一応歴史上ハッキリしているのはこの👆お方。
場所はメシカ(アステカ)ではなくて、
マヤ圏です。
テノチティトランの陥落
そんなことで「大事な事件」が、
時は遡ること1521年8月13日、
メシカ(アステカ)の暦(メキシコの旧暦)でいうと、
3 Casa(1のヘビ、3の家)とという年月日に起こったのでした。
去年2021年8月13日は、
その大事件からちょうど500年の節目であり、
その「現場」ではメキシコ政府による記念行事が行われました。
コロナ禍での開催であり、
メシカの生贄の儀式になぞらえて揶揄するコメントがSNSで目立ちましたが、(苦笑)
それでもこれだけの人々に関心が集まった「8月13日」という日。
僕よりもメキシコ史に詳しい人はたくさんいらっしゃると思うので、
ココではあんまり突っ込んだことは書きませんが、
ちょっと歴史を知っていると不思議に思うことがあるんです。
アメリカ大陸への入植の日について、
1519年~1521年という2年のスパンで語られるのですが、
この「2年」という期間、なぜだと思います?
なんで2年もかかったのか、
なんで1519年にテノチティトランは陥落しなかったのかという疑問。
日本的に言えば焼き討ちですが、
一夜にして猛攻仕掛けて相手の首を取っちゃえば?
って僕は思ったんです、率直に。
だって、
当時の野蛮なメシカ族に対する反感は、
ベラクルスやトラスカラなどの地方で盛り上がっていて、
集めようと思えば結構な数の「兵」を集められたはず。
わざと2年待ったメシカの皇帝
これも「説」なので僕が断定できませんが、
学校の先生曰くこの「2年後の陥落」というのは、
どうもメシカの暦によるものらしいんです。
どういうことかというと、
メシカ(アステカ)の首都テノチティトランが終わった日(1521年)というのがあれば、
始まった日(できた日)というのもあるわけです。
「始まり」は1325年とされています。
この1325年というのは、
メシカ暦(メキシコの旧暦)で2 Casa(2の家)の年。
始まり:2 Casa(2の家)
終わり:3 Casa(3の家)
当時の宗教観で「サイクル=循環」という概念はとっても大事な要素でした。
輪廻転生じゃないですが、
生まれて死んで生まれて死んでの繰り返し。
だから生贄があったわけですが、
これも同じ。
テノチティトランが出来た(生)ら、
無くなる(死)日もあるというわけ。
この暦の話をすると大分ややこしいのでココでは割愛しますが、
メシカの年(今でいう西暦)というのは、
1から13までの数字と、
4つの“キャラクター”の組み合わせでできていました。
その4つのキャラというのは、
「家・ウサギ・イグサ・ナイフ」
つまり、
1の家年
2のウサギ年
3のイグサ年
4のナイフ年
5の家年
6のウサギ年
7のイグサ年
8のナイフ年
・・・・
13の家年
1のウサギ年
・・・・
13年x4キャラクター
この積は52。
当時の人々はこの52年のサイクルを重要視していて、
各52年ごとに新たな「太陽」が生まれると考えられていました。
ここにテスカトゥリポカ神とかケッツァルコアトル神が出てくるわけですが、
これもややこしいのでまた今度。(苦笑)
何が言いたいのかというと、
「家」の前後は「ナイフ」と「イグサ」。
メシカの最後の皇帝たちは、
始まりが「家」だったら、
終わりも「家」が当然だったんです。
だから1519年=1のイグサ年でなければ、
翌年1520年=2のウサギ年でもなかった。
1521年の「家」の年まで「待った」のではないか、
というのが見解です。
現に1520年6月30日の未明には、
あの有名な「悲しき夜」という事件があり、
メシカ人の猛攻によりスペイン人は壊滅的なダメージを負います。
しかしメシカ人はスペイン人を皆殺しにすることなく、
逃げる敵を追うこともなく撤収しています。
なぜか。
👆の理由ではないか、という話です。
続きは最終回で~
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