世界で唯一、メキシコでしか見られない自然の不思議をご覧ください。

モナルカ蝶とは

日本ではオオカバマダラとも知られているオレンジ色と黒色の模様が特徴的な大きな蝶々です。気にビッシリと留まっている光景を映像や写真でご覧になられた方も多いでしょう。この蝶々は世界の自然界でも稀にみる集団大移住で有名で、その生態には未だ謎が多い昆虫です。

モナルカ蝶はアメリカ北部、カナダ南部で生まれ、その一部(マトゥサレム)が北米大陸を南下し、“毎年”メキシコ中央部のメキシコ州とミチョアカン州の森で4ヵ月ほど過ごし、春にはまた北米へ大移住することで知られています。その距離片道4000キロ。重さ1gに満たない体一つでとてつもない距離を移動し、メキシコの地で越冬し、再び数千キロを北上、産卵しその壮絶な生を閉じるのです。

しかし現在は1990年代の10%にその個体数は激減しており、絶滅危惧種に指定されています。その要因は無論人間によるものです。その最たる原因が彼らの食料であるトウワタ(Asclepias)の激減。その原因がトウモロコシを始めとする大規模農業地帯で使用される除草剤です。トウモロコシはこの除草剤に耐えられるよう遺伝子組み換えされ、周辺に生息するトウワタだけが大量に除草されます。トウワタでのみ産卵する習性を持つモナルカ蝶は、「産み場」が無ければ子孫を残せません。

越冬の地メキシコの森も激減の原因です。違法伐採や人間が発生させる騒音により、彼らの住処は奪われ、帰りに必要となるエネルギー(脂肪)を蓄えることができず、道半ばにしてその命を絶えることになります。

今後弊社では、何らかの形でモナルカ蝶の保全活動にも関わって行きたいと考えています。皆様にも、「鑑賞」だけではなく、こうした生き物が直面している背景を少しでもご理解いただけるよう資料や説明を準備しております。

 

ミチョアカン州でザ・メキシコを味わう

モナルカ蝶だけを見に行くのには少しもったいのがミチョアカン州。せっかく森まで行くのなら、その他のミチョアカンの見どころも周られることをおススメします。

ミチョアカン州には世界遺産が3つもあります。

ミチョアカン州はいい意味で外国の旅行者にあまり「知られていない」ので、他の地域に比べれば「地元感」が多く残る地域です。外国の旅行者に知られていない理由、一つにはグアナファトやオアハカなどのゴールデンルートから外れるという地理的な理由です。

また、ミチョアカンにはサン・ミゲル・デ・アジェンデやグアナファトのような世界的に知られる綺麗な町並みが少なく、テオティワカンのような巨大なピラミッドを有する遺跡もありません。そのため「ミチョアカンの良さ」を感じるには少し背景を知る必要があるためです。

ミチョアカン観光の3大要素

  • プレペチャ文化
  • 歴史
  • ミチョアカンの食

これらは「メキシコ」という国を形成する多くの要素の中でも重要な位置を占めます。これらのミチョアカン観光3大要素を抜きにして、「メキシコ」という国は十分い表現できないといっても過言ではありません。

 

プレペチャ文化

👆ツィンツンツァン遺跡

アステカで知られるメシカ帝国と時期を同じくして繁栄したメキシコ中西部の文化です。気泡のようにメシカ帝国の侵略を許さず、その支配を免れた大帝国です。それもあり、ミチョアカンにはプレペチャ語由来の地名が多く残ります。

その大文化プレペチャの旧首都がパツクアロ(Pátzcuaro)。現州都のモレリア(Morelia)市の西約50キロに位置する町です。パツクアロもプレペチャ語が語源でその意味は「空への扉」。現代の「死者の日」の形のルーツはここに繋がり、この地域の死者の日は独特な雰囲気があります。

パツクアロから遷都されたプレペチャの首都ツィンツンツァン(Tzintzuntzan)、その意味は「ハチドリの場所」。今も遺跡としてのこり、他の地域では見られない「ヤカタ」と呼ばれる建造物が現存します。

 

モレリアの歴史

「今日のメキシコ」が形成される上で、忘れることが出来ない出来事というのがいくつかあります。日本史で例えるならば明治維新のようなものです。それらの歴史的大事件によって失われるものもあれば得られるものもあります。良くも悪くもその出来事は「今日のメキシコ」、「今日の日本」、「今日の世界」になる上で無視できない歴史の一部です。

メキシコには大きな出来事が二つあります。一つはヨーロッパ文化による侵略、二つ目はスペインからの開放(独立)です。日本には馴染みのない「独立」という出来事は、ヨーロッパの侵略を受けた国や地域にとっては忘れることのできない大事な出来事。

メキシコの独立といえばもっぱらグアナファト州のグアナファト市やサン・ミゲル・デ・アジェンデ、ドローレス・イダルゴが知られますが、ここモレリアも重要な場所でした。独立への動きが高まる中、初期の陰謀者たちが密かに会議を開いていた場所であり、またメキシコ独立の父ミゲル・イダルゴの死後強力な求心力で独立への動きを活発化させたホセ・マリア・モレロス(Jose Maria Morelos y Pavon)の出生地です。モレリアという地名は彼の名前モレロスから命名されています。

時代的に江戸時代中期に建設された街のレイアウトや建物が今もそのまま使われていおり、ユネスコの世界遺産にも指定されています。

 

世界無形文化遺産ミチョアカンの食

👆料理するミチョアカンの女性

メキシコ料理の歴史はとても古く、確認されている最も古いものは「タマル」という食べ物。紀元前100年頃に描かれたとされる壁画に、タマルが描かれています。このタマルは今日もメキシコの人々の日常生活に欠かせない食べ物です。

👆タマルとコーヒー

今日メキシコがあるエリアには人類史上初めて「栽培」が始まった作物、または「原産」の作物が多くあります。トウモロコシ、カボチャ、インゲン豆、チリ、カカオ、バニラなどなど、現代にもメキシコ料理の基本材料としてメキシコの食卓で引き継がれています。

ユネスコ無形文化遺産に登録されているのは特定のメキシコ料理やメキシコ料理そのものではなく、メキシコ料理に関わる習慣、より正確には「ミチョアカン州における食の習慣」です。

弊社では地元の方との料理教室も承ります。

 

写真ギャラリー

モナルカ蝶の奇跡

プレペチャ文化の痕跡

モレリアなくして今日のメキシコは無かった

ミチョアカンの食は世界無形文化遺産

モレデオジャというメキシコ料理

 

こんな方々におススメです!

  • 「メキシコの素顔」を感じたい方
  • 「移動」の時間を「発見」の時間に変えたい方
  • 一般的なツアーでは物足りなくなった方
  • 女子旅
  • 体力が有り余っている方
  • 特別なメキシコ旅行にしたい方
  • 文化・自然が好きな方
  • 少人数での記念旅行(卒業旅行、お誕生日、結婚記念、還暦祝い、親孝行など)

もちろん、上記の方々以外の方でも大歓迎です!